父のもとに導くもの

デレク・プリンス
のように
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*First Published: 2008
*Last Updated: 2026年3月
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イエスは「道」であると宣言しましたが、目的地に導かれない道は無意味です。御子を通し、御霊によって、私たちの最終的な目的地は父なる神ご自身であるという美しい真実を理解しましょう。
イエスは、
「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです」(ヨハネ14:6)
と言われました。この聖句は、伝道するときにもよく引用されます。しかし、その意味を深く考えてみたことはあるでしょうか。「道」とは、目的地に導くものです。道自体は目的地ではありません。ですから、イエスが、「わたしは道です」と言ったのは、私たちを目的地に導くために来た、という意味です。
イエスは私たちをどこへ連れて行くのでしょう。イエスはこう説明しています。「わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません」(6節)。つまりイエスは、「私は父への道であり、父を啓示している者だから、わたしを見た人は、父も見たのだ」(7-9節)と言っているのです。
また、キリストは来て、遠くにいたあなたがた〔異邦人〕に平和を、また近くにいた人々〔ユダヤ人〕にも平和を、福音として伝えられました。このキリストを通して、私たち二つのもの〔ユダヤ人と異邦人〕が、一つの御霊によって御父に近づくことができるのです。(エペソ2:17-18)
再び、神の三位一体のすべての人物がその一つの節に含まれています:子を通して、霊によって、父に。ですが、父が目的地です。父を省くと、その節は無意味になります。最終的な目的は、父を明らかにし、私たちを父のもとに導くことです。その目的の達成を途中で止めてしまうと、イエスが来た目的を見失ってしまいます。
*Prayer Response
主よ、あなたのもとに来ることができることに感謝します。イエスが私たちを神に導くために死なれたことを宣言します。私は聖霊を通して神にアクセスすることができます。アーメン。
私は祈りました
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