聖さとは何か

私は聖なる者です

聖さについての非常に大きな誤解があります。多くのクリスチャンが物事を控えたり、避けたりすることによって聖くなろうとすることです。彼らは、「これやあれをしなければ、私は聖い」と考えています。しかし、それは聖さとは全く関係ありません。聖い者であるなら、できないこともありますが、自分が関わるものを減らすことではありません。聖さは否定的なことではないのです。パウロは、コロサイ人への手紙2章20~21節でこう書いています。「もしあなたがたがキリストとともに死んで、この世のもろもろの霊から離れたのなら、どうして、まだこの世に生きているかのように、『つかむな、味わうな、さわるな』といった定めに縛られるのですか。」これは、ほとんどの人が考える聖さで、自分自身を規定に当てはめるのです。その規定は、「つかむな、味わうな、さわるな」といったような、聖さを達成するために一部の人々が従っている定めだと言っています。さらに、その定めについてパウロはこう言っています。

これらはすべて、使ったら消滅するものについての定めで、人間の戒めや教えによるものです。これらの定めは、人間の好き勝手な礼拝、自己卑下、肉体の苦行のゆえに知恵のあることのように見えますが、何の価値もなく、肉を満足させるだけです。(22-23節)

つまり、特定の事柄を控えたり、避けたりすることで聖い者になるのではないのです。それは神の聖さではありません。マタイの福音書5章16節で、イエスは聖さと私たちの行いの関係性について説明しています。「あなたがたの光を人々の前で輝かせなさい。人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようになるためです。」「あなたがたの光を輝かせる」とは、他の人々が神を見ることができるような良い行いをすることです。それは、禁止事項の規定を守ることではありません。聖さは積極的で力強いものです。事実、聖さこそ、この世に働く最も強い力であると私は信じています。後ろ向きのライフスタイルに入って、それを「聖さ」と呼ぶことは、自分欺瞞です。それは神が言う聖さとは全く異なるものです。

【祈り】

イエスさま、私を召してくださったことを感謝します。私は、積極的で力強く「私の光を輝かせる」ことを宣言します。私は聖なる者とされているからです。アーメン。

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