御父は、愛をもって私をご自分の息子、娘にしようと定めておられました。
イエスが十字架の上で死なれたとき、聖なる神と罪深い人間を隔てていた神殿の幕が真っ二つに裂けたことは、私たちが神に受け入れられるという宣言です。(例:マタイ 27:51参照。)誰も人間の仕業だと言えないように、幕は上から下に向かって裂けました。この行為は、神によってなされたものでした。裂けた幕は、イエスを信じるすべてに人に対する父の招きです。「さあ、おいで。わたしがあなたを受け入れることができるようにと、わたしの子イエスがあなたの拒絶を代わりに耐えたから。」
私たちの主イエス・キリストの父である神がほめたたえられますように。神はキリストにあって、天上にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。すなわち神は、世界の基が据えられる前から、この方にあって私たちを選び、御前に聖なる、傷のない者にしようとされたのです。(エペソ1:3-4)
この究極の選択は、私たちがしたことではなく、神がなされたことに注目してください。自分が救われることを選んだから救われたのだと考えてはいけません。あなたが救われたのは、神があなたを選び、あなたが神の選択に応答したからです。あなたは心変わりをすることがあるかもしれませんが、神はみこころを変えることはありません。
現代の福音提示の多くには、私たちの行動によってすべてが決まるといったような誤った強調が見られます。確かに、私たちは選択しなければなりませんが、そもそも神が私たちを選んでくださらなければ、私たちは選択することができません。あなたと神との関係が、自分が何をしたかではなく、神が何をしてくださったかに基づいているとき、あなたはクリスチャンとして、より深い平安を感じることができるでしょう。神は私たちよりもはるかに信頼できるお方です。
【祈り】
父なる神さま、私があなたの子どもとされていることを感謝します。私は、自分がすることによってではなく、神がしてくださったことに基づいて神さまの子どもとされていることを宣言します。御父は愛をもって、私を息子、娘として私をあらかじめ定めてくださっていました。アーメン。