結び合わされる

私はキリストのからだの器官です 

パウロはコリント人への手紙第一12章で、各器官は互いに助け合っていると言っています。他の器官から独立して存在している器官はありません。目が手に向かって、「あなたは必要ない」と言うことはできません。頭は足に向かって「あなたは必要ない」と言うこともできません。たとえ弱く目立たない器官であっても、実は最も重要な器官であるかもしれないのです。

人間のからだの器官で、目ほど傷つきやすく敏感な器官はありません。しかし、それは非常に大切な器官なのです。自然界において、どれほど目の周りを注意深く保護しているかを考えてみてください。顔のいくつかの部分のおもな働きは、目を守ることです。しかし、目にそのような保護と尊敬が与えられているのは、強いからではなく、弱いからです。これが、からだの結び合わされ方なのです。強いものが弱いものを守らなければなりません。

この原則はキリストのからだの器官にも当てはまります。大小や強いか弱いかなどによってキリストのからだのどの器官も無視したり軽蔑したりしてはいけません。私たちは互いを必要とします。一つの部分が苦しめば、他の部分もともに苦しみます。一つの部分が尊ばれれば、他の部分もともに喜びます(Ⅰコリント12:26を参照)。それがイエス・キリストの普遍的なからだである教会のあるべき姿です。

【祈り】 

イエスさま、私をあなたのからだの一部としてくださったことを感謝します。私は、他の器官とともに結び合わされており、彼らを尊ぶことを宣言します。私はキリストのからだの器官だからです。アーメン。

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