主の栄光にあずかる

- イエスは、私たちに神の栄光を与えるために、私たちの辱めを負われました - 

「辱め」の反対は何でしょうか。ほぼ正反対のものは、「栄光」です。 

多くの子たちを栄光に導くために、彼らの救いの創始者を多くの苦しみを通し て完全な者とされたのは、万物の存在の目的であり、また原因でもある神に、 ふ さ わ し い こ と で あ っ た の で す 。 (ヘブル2:10) 

イエスが「多くの子たちを栄光に導く」と言っていることに注目してください。 イエスが私たちの辱めを負われたのは、ご自分の栄光を私たちにあずからせるため でした。過去に辱めを受け、それを完全には乗り越えることができていない人、忘 れることができない出来事を経験した人々もいるでしょう。それらの否定的な思い や辛い思いは、神を礼拝し、賛美する時の妨げとなります。しかし、思い出してく ださい。イエスは、私たちが主の栄光にあずかることができるようにと、私たちの 辱めを完全に負って、十字架の上で三時間もの間全裸にされたのです。 

私は以前オランダで、イエスが私たちの辱めを負ったというメッセージをしまし た。後日、あるオランダ人女性がその応答として自分の証しを手紙で送ってきまし た。少女時代に少年のギャング集団に性的虐待を受け、さらに性的いじめにも苦し みました。のちに結婚しましたが、男性に対する苦々しい心の傷が深かったため、 結婚生活は幸せではありませんでした。彼女は自分が耐えてきた辱めから逃れるこ とができなかったのです。しかし、主は素晴らしいことをされました。 

自分の部屋に一人で座っていると、全裸で十字架にかけられたイエスの幻が見え ました。そして彼女は、二つのことに気づいたのです。一つは、イエスが自分の辱 めを負ってくださったこと、もう一つは、イエスが男性であったことです。男性に 対するひどい嫌悪感にも関わらず、自分の辱めの罰を受けたのが男性であったとい うことに気づいたのでした。素晴らしいと思いませんか。裸で十字架にかけられた イエスは、通りかかる人々からの嘲りとののしりにさらされました。それが、十字 架刑の最大の目的であり、イエスはそのすべてを耐え忍ばれたのです。

【祈り】 

イエスさま、あなたの十字架のみわざを感謝します。私は、イエスさ まが私の辱めの罰を受けてくださったことを宣言します。イエスさまは、私に神の 栄光を与えるために、私の辱めを負われました。アーメン。

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