私はキリストにあって完全な者とされました
神のみこころにかなった、成熟した完全な者とされるためには、神がキリストを通して与えてくださった教えのすべてに従わなければなりません。神の教えの一部を省いて、それを他の部分で代用できると思ってはなりません。
しかし、多くのクリスチャンは、まさにこの点で誤った考え方に陥ってしまいます。意識的であれ、無意識であれ、神の教えの一部分に従っていれば、自分たちが省いた他の部分については心配する必要がないと思ってしまうのです。
例えば、口のことばでの証しは非常に重視するけれども、日々の信仰生活の実践をおろそかにしているクリスチャンがいます。それとは逆に、自分たちの行いについては十分注意を払うけれども、友人や周りの人たちに証しをしないクリスチャンもいます。どちらのタイプの人たちも、他のタイプの人たちを批判したり、見下したりする傾向があります。しかし、どちらも同じ誤りを犯しています。良いクリスチャン生活は口のことばでの証しに代わるものではありませんし、口のことばでの証しは良いクリスチャン生活に代わるものでもありません。神はどちらも求めておられます。どちらか一方でも欠けているなら、神のみこころにおいて成熟した完全な者として立っているとは言えません。
【祈り】
主よ、あなたが私のうちで働いてくださっていることを感謝します。私の願いは、キリストを通して神さまが私に教えてくださったすべてのことに従い、神さまのみこころにおいて完全な、成熟し、堅く立つ者となることであると宣言します。なぜなら、私はキリストにあって完全な者とされたからです。アーメン。