「主の御腕」を受け入れる

デレク・プリンス
のように
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日本語
*First Published: 2008
*Last Updated: 2026年3月
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イエスが地上を歩く何世紀も前、預言者イザヤは人々が彼に関する報告を信じるのに苦しむと予言しました。この古代の警告は現実となり、多くの人々が奇跡にもかかわらずキリストを拒否しました。私たちは、彼が行う印だけでなく、救い主自身を信じる信仰を求められています。
イザヤ53章は、危機についての警告で始まります。それは、神からイザヤに与えられた、多くの人が不信仰に陥るという預言的メッセージでした。
「私たちが聞いたことを、だれが信じたか。主の御腕はだれに現れたか」(イザヤ53:1)。
その前の箇所(イザヤ52:13-15)で描写され、この預言で語られている主のしもべは、上の節で「主の御腕」と表現されています。この言葉は、神の民のために介入する「神の力」を表しています。イエス・キリストご自身を通して、神がご自分の民に救いをもたらすことを前もって示されたのです。このすべてがイエスによって成就されました。イエスは神を明らかにし、神の救いと癒やしをすべての人にもたらすために来られました。イエスの地上でのミニストリーの証人であるペテロは、そのことを次のように要約しています。
「それは、ナザレのイエスのことです。神はこのイエスに聖霊と力によって油を注がれました。イエスは巡り歩いて良いわざを行い、悪魔に虐げられている人たちをみな癒やされました。それは神がイエスとともにおられたからです」(使徒10:38)。
ヨハネの福音書は、イザヤの預言をそのままイエスに当てはめています。
イエスがこれほど多くのしるし[奇跡]を彼らの目の前で行われたのに、彼らはイエスを信じなかった。それは、預言者イザヤのことばが成就するためであった。彼はこう言っている。「主よ。私たちが聞いたことを、だれが信じたか。主の御腕はだれに現れたか。」(ヨハネ12:37-38)
私たちは、旧約聖書の預言を成就したお方への信仰を堅く保っていなければなりません。イエスの奇跡を目撃した多くの人さえ、信じようとしませんでした。信じるための保証とならないしるしや不思議を求めるのではなく、すべての最大の奇跡である私たちの救いを勝ち取った方を信じる信仰に留まりましょう。
*Prayer Response
主よ、私をこの世から離れるよう呼びかけてくださり感謝します。イエスの多くの民が彼を拒んだにもかかわらず、私は彼を救いをもたらす「主の腕」として受け入れます。私は陣営の外で彼のもとに出て行きます。アーメン。
私は祈りました
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