聖書に見られる礼拝、賛美、感謝という3つの概念は密接に関係していますが、明確な違いがあります。それらす べてが聖書に頻繁に出てくるので、その違いを見分けることは重要です。

礼拝とは何よりも、からだの姿勢や態度で、 頭を垂れる、上半身全体をかがめる、地にひれ伏す、さらには神の前に私たちの霊をゆだねることです。
一方、賛美は、言葉にすることです。聖書は、賛美は口から出るものでなければならないと強調しています。
感謝は神がしてくだ さったことに感謝するときに起こるものです。

礼拝において、私たちは神の聖さとつながります。賛美において、私たち は神の偉大さとつながります。感謝において、私たちは神の善性とつながります。

賛美

礼拝、賛美、感謝の導入は以上で、今から賛美のテーマに移っていきます。

「主は大いなる方。大いにほめたたえられるべき方。その聖なる山、われらの神の都において。」(詩篇 48:1)

主は大いなるお方であるので、賛美されるべきお方なのです。賛美は、神の偉大さと私たちを結びます。神はその 偉大さに見合って賛美されるべきです。以下は、賛美についての聖書的事実です。

1. 賛美は神の住まい

「けれども、あなたは聖であられ、イスラエルの賛美を住まいとしておられます。」(詩篇 22:3)

賛美は神の住まい、神が住んでおられるところです。あなたが神の住む場所にいたいと願うなら、神に賛美を捧げ なければなりません。

へブル語で「場所に住む」の意味は、「座る」と同じ語です。例えば、定着は、座る場所です。英語の欽定訳はそ の箇所を美しく訳しています。「あなたは聖で、イスラエルの賛美の中に座しておられます。」賛美は、神の御座で す。私たちの賛美が神を王とするのではなく、私たちが賛美する、しないに関わらず、神は王です。しかし、私たちが神を賛美する時、私たちは神に御座に座っていただくのです。神をお迎えし、その王位を認めます。賛美は神が住まわれる場所であり、神の御座です。

2.神の臨在への道

「感謝しつつ、主の門に、賛美しつつ、その大庭に、入れ。主に感謝し、御名をほめたたえよ。主はいつくしみ深くその恵みはとこしえまで、その真実は代々に至る。」(詩篇100:4-5)

賛美は、神の臨在への道です。神の門と大庭への道は賛美と感謝です。

そして、聖書は私たちが賛美すべき3つの理由を教えています。主はいつくしみ深い、その恵みはとこしえまで、その真実は代々に至る、です。これらは、どのようなことが起ころうとも、常に真理です。あなたが神の臨在に入りたいと願うなら、賛美こそが唯一の門で、他にはありません。

「あなたの国の中の暴虐、あなたの領土のうちの破壊と破滅は、もう聞かれない。あなたは、あなたの城壁を救いと呼び、あなたの門を賛美と呼ぼう。」(イザヤ60:18)

神は、救いと呼ばれる城壁に囲まれた町に住んでおられます。聖書は、その城壁の中に入る唯一の方法は門を通ることで、すべての門は賛美であると、明確に、力強く言っています。言い換えれば、賛美なしに神の臨在と神の民が住むところへの道筋はないのです。

3.賛美と神の祝福

「私たちの神、主よ。私たちをお救いください。国々から私たちを集めてください。あなたの聖なる御名に感謝し、あなたの誉れを勝ち誇るために。」(詩篇106:47)

賛美は、神が私たちの内に投資したものが生み出したものなので、私たちを祝福します。神は私たちを救い、神との、そして互いの交わりを私たちにもたらしてくださいました。それは、私たちが御名に感謝し、神の誉れを勝ち誇ることを願っておられるからです。

ダビデは、人生で暗い時期を長く通りました。私たちの多くが、人生の中に似たようなことを振り返ることができるでしょう。

「あなたは私のために、嘆きを踊りに変えてくださいました。あなたは私の荒布を解き、喜びを私に着せてくださいました。私のたましいがあなたをほめ歌い、黙っていることがないために。私の神、主よ。私はとこしえまでも、あなたに感謝します。」(詩篇30:11-12)

私たちのたましいが主をほめ歌い、黙っていることがないように、神がそれらのことをしてくださったというところに注目してください。では、私たちのたましいとは何でしょうか。以下の2つの聖句と比較すれば、その答えに疑うことはないでしょう。

「それゆえ、私の心は喜び、私のたましいは楽しんでいる。」(詩篇16:9)

ペンテコステの日、ペテロはこの節を引用して言いました。

「それゆえ、私の心は楽しみ、私の舌は大いに喜んだ。」(使徒2:26)

「私のたましい」は「私の舌」であると教えています。聖書が、「私のたましいはあなたに感謝を捧げる」と言うとき、その意味は、「私の舌はあなたに感謝を捧げる」です。それが、ダビデが「黙っていることがないために」と付け加えた理由です。舌は、話す、黙ることをするからだの器官です。

神が私たちに舌を与えてくださった第一の目的は、神を賛美するためです。それは最も完全に神を賛美し栄光を帰すことのできるからだの器官の一つです。あなたのたましいが神を賛美し、黙っていることがないように、神はあなたを祝福し、解放し、嘆きを取り去ってくださるということを忘れないでください。

4.私たちの霊的外套

賛美は私たちの霊的な外套の一部です。イザヤ61章はメシヤの到来について書かれており、メシヤは、「シオンの悲しむ者たちに、灰(嘆きの象徴)の代わりに頭の飾りを、悲しみの代わりに喜びの油(聖霊の象徴)を、憂いの心の代わりに賛美の外套をつけさせる」と言っています(3節)。

現代英語で「重苦しい霊」とは、うつ状態のことです。しかし、賛美の外套を着けると、重苦しい霊は離れ去ります。

別のみことばに、「正しい者たち。主にあって、喜び歌え。賛美は心の直ぐな人たちにふさわしい。」(詩篇33:1)とあります。あなたが賛美の外套を着けるとき、御霊においてあなたは最高の姿をしています。それはあなたにふさわしく、あなたは美しいのです。

5.救いと賛美

賛美は、解放の方法です。神は言われます。

「感謝のいけにえをささげる人は、わたしをあがめよう。その道を正しくする人に、わたしは神の救いを見せよう。」(詩篇50:23)

私は、この節を次のように翻訳することが妥当である(いくぶん自由ではありますが)と思っています。「私に栄光を帰しほめたたえる人すべてに、私の救いを見るための道を備える。」神への賛美を通して、私たちは神が超自然的に介入していただく道を開きます。賛美によって神の介入がもたらされた多くの例が聖書にあります。

よく知られている例の一つである歴代誌第二を見てみましょう。強い異邦の国の軍がユダを侵略し、ヨシャパテ王は、その軍に見合う軍備がないことを知り、その代わりに霊的武器に頼ることにしました。彼らは戦いに進んで行く前、神の指示に従い、次のようにしました。

「それから、彼は民と相談し、主に向かって歌う者たち、聖なる飾り物を着けて賛美する者たちを任命した。彼らが武装した者の前に出て行って、こう歌うためであった。「主に感謝せよ。その恵みはとこしえまで。」(Ⅱ歴代誌20:21)

多くの人が指摘するように、奇妙な戦いの戦略です。まず戦車を送る代わりに、神を賛美する歌う者たちを送り出しました。ばかげているように思えますが、機能したのです。神の民が神を賛美した時、神が介入され、敵を打ち負かしました。

「彼らが喜びの声、賛美の声をあげ始めたとき、主は伏兵を設けて、ユダに攻めて来たアモン人、モアブ人、セイル山の人々を襲わせたので、彼らは打ち負かされた。」(22節)

新約聖書で、パウロとシラスが牢に入れられています。真夜中のことでした。むち打たれ、彼らの背中は血で覆われていました。牢の中は最大限の警備がなされており、彼らの手と足はつながれていました。彼らは何をしたでしょうか。祈り、神を賛美し始めました。

「真夜中ごろ、パウロとシラスが神に祈りつつ賛美の歌を歌っていると、ほかの囚人たちも聞き入っていた。ところが突然、大地震が起こって・・・」(使徒16:25、26)

すべての扉が開いて、みなの鎖が解けました。賛美は地震を起こしました。神の超自然的な介入です。これは聖書の変わらない原則です。困難や不可能に思える状況の中であなたに神の超自然的な介入を願うなら、それを解き放つ鍵はあなたの賛美です。そして、それは通常、あなたが最も神を賛美したくないと感じている、その時に起こります。

6.霊的武器

賛美はまた、霊的戦いの武器です。ダビデは主にこのように語りかけています。

「あなたは幼子と乳飲み子たちの口によって、力を打ち建てられました。それは、あなたに敵対する者のため、敵と復讐する者とをしずめるためでした。」(詩篇8:2)

「敵と復讐する者」とは、サタンです。私たちはサタンをしずめなければなりません。なぜなら、サタンは神の御座の前で絶え間なく私たちを非難しているからです。どのようにして、しずめるのでしょうか。「口によって」もたらされる力がそれを成しますが、それがどういうものであるかを正確に教えてくれるものではありません。イエスは、マタイ21章で同じ聖句を引用しました。

「…聞いています。『あなたは幼子と乳飲み子たちの口に賛美を用意された』とあるのを、あなたがたは読まなかったのですか。」(マタイ21:16)

ダビデが言った、「あなたは力を打ち建てられました。」というのを、イエスは、聖霊によって「あなたは賛美を用意された」と変えました。それは、神の民が力を打ち建てることは、賛美を用意することであるということを教えています。私たちが私たちの肉眼では見通すことができない、見えない領域で賛美を用意し神にささげるとき、私たちはサタンを黙らせます。サタンの口をふさぎ、サタンの非難という強い武器を取り上げます。あなたが神を賛美することを悪魔が嫌がるのも不思議ではありません。

7.賛美のいけにえ

最後に、賛美はいけにえです。何らかの犠牲が伴います。イスラエルが回復されたあとに起こることを描写している美しい聖句があります。荒廃と苦痛、嘆きの地で、彼らは次のようになります。

「楽しみの声と喜びの声、花婿の声と花嫁の声、『万軍の主に感謝せよ。主はいつくしみ深く、その恵みはとこしえまで』と言って、主の宮に感謝のいけにえを携えて来る人たちの声が再び聞こえる。それは、わたしがこの国の繁栄を元どおりにし、初めのようにするからだ」と主は仰せられる。」(エレミヤ33:11)

私がこの翻訳が気に入っているのは、本当の意味を明示していると信じるからです。神が、私たちに神の家に携えてきてほしいと願っておられるいけにえは、賛美です。これはへブル書で非常に明確に述べられています。

「ですから、私たちはキリストを通して、賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえるくちびるの果実を、神に絶えずささげようではありませんか。」(へブル13:15)

あなたが幸せだと感じ、すべてが順調に進んでいる時に神を賛美することは、素晴らしいことですが、それは犠牲ではありません。すべてが悪い状況にある時、なおも神を賛美するなら、それは犠牲です。あなたの気分が乗らないときに神に賛美することには、何らかの犠牲が伴いますが、その時こそ、最も神を礼拝する必要があるのです。私たちは次の3つの理由から神を礼拝します。神はいつくしみ深い、神の恵みはとこしえまで、神の真実は代々に至るからです。これらの理由は変わることがありません。

賛美についての質問

いつ神を賛美すればいいのか

「日ごとにあなたをほめたたえ、あなたの御名を世々限りなく賛美します。」(詩篇145:2)日々神をほめたたえるべきです。世々限りなく、です。詩篇34篇はこの説明から始まっています。

「ダビデによる。彼がアビメレクの前で気が違ったかのようにふるまい、彼に追われて去ったとき。」ダビデは、生まれ故郷と彼を殺そうとしていたサウル王から逃げなければなりませんでした。そしてアビメレクという異邦の王のところに逃れてきました。自分を守るため、ダビデは気が狂ったふりをしなければなりませんでした。聖書は、ダビデが狂った男のようにひげによだれをたらし、爪で扉を傷つけたと言っています。アビメレク王は、「おい、おまえたちも見るように、この男は気が狂っている。なぜ、私のところに連れて来たのか。私に気の狂った者が足りないとでもいうのか。」と言いました(Ⅰサムエル21:14-15)。

では、背景を理解したところで、状況に対するダビデの反応を見てみましょう。

「私はあらゆる時に主をほめたたえる。私の口には、いつも、主への賛美がある。」(詩篇34:1)

これこそ、神にある男性、女性を作るものです。あなたが倒れ、すべてがあなたにとって不利な時、賛美をする自然な理由が見当たらないとき、なおも主をほめたたえるのです。

どのように賛美したらいいのか

詩篇111篇の作者はこう言っています。「私は心を尽くして主に感謝しよう。」(1節)。私は中途半端な方法で神を賛美することは嘆かわしいことだと考えます。時々、賛美礼拝で口の中でもごもご言っているだけの人を見かけます。神は、私たちが心を尽くして賛美されるべきお方ですから、賛美にあなたのすべてを注ぎ込んでください。

詩篇63:4は言っています。「それゆえ私は生きているかぎり。あなたをほめたたえ、あなたの御名により、両手を上げて祈ります。」両手を高く上げましょう。あなたの後ろにいる人のことを気にしないでください。神の思いのほうがもっと重要です。神は言われます。「あなたの両手を上げて、わたしを賛美せよ。」

「私のたましいが脂肪と髄に満ち足りるかのように、私のくちびるは喜びにあふれて賛美します。」(詩篇63:5)

ですから、両手、口、くちびるはすべて賛美の道具です。あなたの全身が神を賛美することに関わっているのです。

「踊りをもって、御名を賛美せよ。タンバリンと立琴をかなでて、主にほめ歌を歌え。」(詩篇149:3)「タンバリンと踊りをもって、神をほめたたえよ。緒琴と笛とで、神をほめたたえよ。」(詩篇150:4)

踊りをもって神を賛美することもまた、聖書的です。それにより、あなたは、今まで知り得なかった新しい賛美と喜びの中へと入って行くでしょう。

だれが神を賛美すべきか

詩篇148篇に、神をほめたたえる29種類の被造物と人々が挙げられています。しかし、万が一、そのリストにないなら、詩篇150篇の最後の節は言っています。「息のあるものはみな、主をほめたたえよ。」(6節)。何よりも息があなたに与えられたのですから、あなたは神を賛美することができます。ですから、主を賛美しないなら、あなたは神が与えてくださったあなたの息を誤用していることになるのです。

主を賛美しない人はいますか

答えは、Yesです。「死人は主をほめたたえることがない。」(詩篇115:17)。その人々だけです。ですから、もしあなたが主を賛美しないなら、あなたには問題があるのです。あなたが生き生きとしたいと願うなら、主を賛美しなければなりません。ハレルヤ!

生き生きとしたいのなら、主を賛美しなさい。ハレルヤ!

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