わたしについて来なさい

Teaching Legacy Letter
*First Published: 2018
*Last Updated: 2026年3月
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「クリスチャンの人生を一言で言い表してください。」と質問されたら、あなたはどのように答えますか。私なら、迷うことなく、「イエスに従うことです」と答えるでしょう。それこそが、クリスチャン人生の本質です。
そのことは、取税人マタイの回心によって鮮明に描かれています。
マタイが収税所に座っていると、イエスがそこを通られ、ただ「わたしについて来なさい。」とだけ語りました(マタイ 9:9)。
マタイのその後の生涯は自分の答えにかかっていました。彼は立ち上がってイエスに従いました。
不可欠な二つの前提条件
しかし、私たちがマタイのように応答すると決心したなら、イエスに従い始める前に、不可欠な二つの前提条件があることに気づきます。
「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい」(マタイ16:24)。
第一に、私たちは自分を捨てなければなりません。第二に、自分の十字架を負わなければなりません。
捨てるとは、「ノー」と言うことです。自分の執着心、自分本位、自己主張に対して「ノー」と言わなければなりません。ゲッセマネでのイエスの祈りにならう者となる必要があります。「わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。」(ルカ 22:42)
私たちは自分自身を捨てて初めて、自分の十字架を負うことができるようになります。ある人が、自分の十字架とは、神のみこころと私たちの願いが交差するところだと定義しました。事実、それは死刑の場所です。
ローマ 6:6 でパウロは、「私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられた...」と言っています。古い人とは、反抗的、自己満足の性質で、私たちがみな、アダムという共通の祖先から受け継いでいるものです。
神は、私たちの古い人のためにたった一つの解決法を持っておられます。それは、教会や教会学校に行くことでもなく、黄金律(神を愛し、隣人を愛する)を教えたり、自己啓発の学びに行かせたりするのでもありません。神の解決法は、シンプルで決定的です。自分に死ぬことです。
福音の良い知らせは、イエスが十字架上で亡くなった時に処刑が行われたということです。その瞬間、私たちの古い人はイエスにあって十字架につけられました。これは単純な歴史的事実です。私たちが知っているかどうか、信じているかどうかに関わらず、真実です。しかし、この事実から益を得るには、私たちはそれを知り、そして信じなければなりません。
夢で神からチャレンジを受ける
約 50 年前、私はロンドンのマーブル・アーチという有名な門の公共演説場で、伝道集会を定期的に開いていました。そんなある夜、その公共演説場で一人の男がメッセージを語っているという鮮明な夢を見ました。その男のメッセージは良かったのですが、外見が奇妙でした。彼のからだは湾曲しており、足も変形していました。しかし、私はその夢をあまり気に留めませんでした。
一週間ほどして、まったく同じ夢を見ました。私は、神が私に何かを語ろうとしているのだと気づきました。「主よ、あの男はだれですか。彼のメッセージは素晴らしいのですが、外見が気になって仕方ないのです。」と尋ねました。
主は即座に、そして直球的に答えました。「あなたですよ。」 神は、ある重要な変化を私に明確に求めておられたのです。しかし、私にはそれが何であるのかはっきりとわかりませんでした。
イースターの季節が近づき、私は十字架のことを思い巡らしていました。頭の中に、丘の上に立つ三本の十字架が思い浮かびました。真ん中の十字架は両端よりも高く立っていました。
聖霊は私に、「真ん中の十字架はだれのために立てられましたか。」と尋ねましたが、そのあとで、「どう答えるか、よく考えなさい。」と警告したのです。私はしばらく考えて、「真ん中の十字架はバラバのために立てられたけれども、最終的にイエスが代わりに十字架に付きました。」と答えました。
聖霊は、「そう、イエスがバラバの代わりとなったのです。しかし、あなたは、イエスがあなたの代わりとなったことを知っていますね。」と言いました。私が、「はい、そうです。」と答えると、「では、あなたはバラバなのです!」と聖霊は言いました。
My True Condition
その瞬間、はっきりと分かったのです。「私はまさに、用意されていた十字架に付くべき犯罪人であった。私の身長に合わせてその十字架は作られた。それは、私が付くべき十字架だったのだ。」
ローマ 7:18でパウロが自分自身について言っていることが、私に迫ってきました。「私は、私のうち、すなわち、私の肉のうちに善が住んでいないのを知っています。」 私の人格のあらゆる領域に、罪の腐敗が浸透していることがわかりました。私のうちには神が喜ばれる純粋なもの、善は一つもありませんでした。しかし、私はどのように応答すればよいのでしょう。
ローマ 6:6、6:11-13 に、パウロが記している四段階があります。
第一段階(6 節):第一に、イエスが十字架で死なれたときに、自分の罪深い性質は死に渡されたことを知らなければなりません。これは、あとに続く段階のために不可欠な最初の一歩です。
第二段階(11 節):私は、イエスが死なれたように、自分自身を死んだものとみなさなければなりません。
第三段階(12 節): それに基づいて、罪に私を支配させないように、断固として罪を拒絶しなければなりません。
第四段階(13 節):私は私自身を死者の中から生かされた者として神にささげ、私の手足を義の器(文字通りでは義の武器)として神にささげなければなりません。「武器」という言葉が用いられていることは、サタンからの攻撃があることを私に警告してくれます。
神の三つの備え
罪の奴隷からの完全な解放のために、神の三つの備えが必要とされました。最初に、神は私たちの罪 - 私たちが犯してきたすべての罪深い行ない - を取り扱わなければなりませんでした。十字架でイエスが私たちの罪のための完全な贖いをしてくださることで、神はご自身の義に妥協することなく私たちを赦してくださることができるのです。つまり、神の最初の備えは、「赦し」です。
それから、神は、それらの罪深い行ないをやめることができない、私たちの内にある堕落した性質も取り扱わなければなりませんでした。神の備えは、「罪深い性質を死に渡す」ことでした。しかし、素晴らしいことに、その死は二千年以上前に、イエスが十字架で死なれたときに成されたのです。
しかし、それで終わりではありません。神の目的は、罪深い古い人を、神ご自身が創造される「新しい人に造り変える」ことです。その備えは、エペソ 4:22-24で説明されています。
・・・滅びて行く古い人を脱ぎ捨てるべきこと、またあなたがたが心の霊において新しくされ、真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造り出された、新しい人を身に着るべきことでした。
しかし私たちは、古い人が死に渡されることを受け身の態度で受け入れるのではないことを知っておかなければなりません。反対に、その古い人は、私たちを自分の支配下に戻すために、時々激しく戦いを挑みます。
コロサイ人への手紙 3章にあるパウロの警告のことばがそれを説明しています。3 節でパウロは、「あなたがたはすでに死んでおり...」と言っていますが、5 節では、「ですから、地上のからだの諸部分・・・を殺してしまいなさい。」と言っています。私たちは、私たちの古い人が死んだという事実の信仰に立ち、再び私たちを支配しようとすることを、積極的に抵抗しなければなりません。
あなたの霊的状態を知る
残念なことに、多くのまじめなクリスチャンが、この神の完全な備えを理解していなかったり、用いていません。彼らは、罪の赦しを主張し続けますが、神はそれだけではなく、古い人を死につけ、新しい人に変えてくださることを知らないのです。その結果、彼らのクリスチャン生活は、罪、悔い改め、赦され、また罪を犯すという、うんざりするようなサイクルを繰り返すのです。そのため、決して古い罪深い性質の支配からの解放を経験できないのです。
神が与えてくださっている罪のための備え全体を理解しているか、以下の質問を考え、あなたの霊的状態を探りましょう。
- 私は、自分のすべての罪が赦されていることに完全なる確信があるか。
- 私は、自分の古い肉の性質の支配から解放されているか。
- 私は、義と真のきよさをもって創られた新しい人を着ているか。
- 私はイエスに従っているか。
来たる世
将来の簡単なありさまを、黙示録 7章と 14章から見て、締めくくりましょう。この終わりの時代には、メシヤに従う144,000人のイスラエル人をご自身のために備えられます。難の中にある世に遣わし、だれにも数え切れないほど多くのたましいを刈り取ります(黙示録 7:9)
黙示録 14:1-5 節で、彼らが自分たちの任務を力強く完成したことが書かれています。その後おそらく、彼らは自分たちの血であかしに印を付けたでしょう。彼らの額には、父と御子の御名が書かれ、「大水の音のようで、また、激しい雷鳴のようで...だれもこの歌を学ぶことができなかった」、新しい歌で神を礼拝しています。
彼らは、どのような人々でしょうか。彼らの品性がはっきりと描かれています。彼らは性的にきよく、その口には偽りがなく、傷(過ち)もありません。彼らはどのようにして、そのような傷のない完全な品性に達したのでしょうか。その答えはシンプルです。「小羊が行く所には、どこでもついて行った」からです。私がそのことに感動したように、あなたも感動していらっしゃるでしょうか。さらにイエスに近づきたいと願いますか。
あなたはどうですか?
神の子羊がどこへ行こうとも、従いたいと思いますか?もしかしたら、あなたはそうしようと一生懸命努力してきたかもしれません。しかし、罪を犯し…悔い改め…赦され…そしてまた罪を犯すという、退屈な繰り返しの悪循環に陥っているのではないでしょうか。
上に挙げた個人的な棚卸しの質問を用いながら、聖霊の助けを求めて祈りましょう。これまで以上にイエスに従うために、心構えを固めましょう。
*Prayer Response
愛する主イエス様、聖霊によって、あなたにもっと近づくようにと私を召しておられるのを感じます。心からそう願っていますが、罪の輪に囚われています。どうか、私のすべての罪が赦され、古い肉欲の支配から解放され、義と聖さのうちに創造された新しい人を身に着けることを学べるよう、私を助けてください。自分を否定し、十字架を背負い、あなたに従うことができるよう、私を助けてください。御名によって祈ります。アーメン。
コード: TL-L124-100-JPN