あなたの敵を知る

Teaching Legacy Letter
*First Published: 2006
*Last Updated: 2025年11月
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私たちはみな、人間の知恵や力を超えた未知なる、「ハイヤー・パワー」(はるかに高い力)とつながりたいと、心のどこかで思っている部分があります。これは、10代の少女が星占いを信じるレベルから、辺境の地の部族間にいる呪術師や、宇宙空間を調査し、宇宙の神秘を見出そうとしている科学者まで、すべてのレベルにおいて当てはまります。
私たちの内にその憧れを与えたのは神ですが、神の敵であるサタンは、人々を自分の虜とする悪の体制、すなわち偽りの中へと転換させる方法を考え出しました。これらの偽りの体制には数え切れないほど多くのかたちがありますが、一般的な名前は、オカルトです。
オカルトという単語は、ラテン語の「隠された」という語に由来します。オカルトを通して働く力はサタンから来ていますが、オカルトにのめり込むほとんどの人はそのことを知りません。彼らは、非常に素晴らしく思える主張に誘惑されるのです。
聖書は、唯一なる神から、偽りの神々へ向かうことを「霊的姦淫」と呼んでいます。このように、不道徳と姦淫に対する聖書の警告は、またオカルトへの関与にも当てはまります。箴言で表現されている「見知らぬ女」は、オカルトの罠を鮮やかに描いています。その女に誘惑され、だまされた人々の悲劇的な結末が箴言7:25-27に書かれています。
「あなたの心は、彼女の道に迷い込んではならない。
聖書は「見知らぬ女」の被害者が強い男性であることを強調しています。サタンは、強い男を憎んでいます。強い男性は、自分の強さと過去の成功に自信を持っているとき、攻撃されやすくなります。
2つの主な枝
オカルトの2つの主な枝は占術と魔術であることが聖書で確認できます。
占いは、人々や出来事、状況について超自然的な手段によって知識を提供します。しばしは、それは未来の出来事を予言します。これの現代用語は、占い、霊媒、霊感です。
明確な例が使徒の働き16:16-22の若い女奴隷に見られます。その女は「占いの霊につかれ」ていると言われています。興味深いことに、ギリシャ語では単に「彼女は大ヘビの霊を持っていた」と言っています。伝統的なギリシャ文化では、大ヘビは占いや運勢判断の行ないに関係していることがよくありました。現代用語で言えば、そのような人は霊媒師です。
その若い女はピリピの町でパウロとシラスがどういう人であったのかを最初に見極めた人物でした。「この人たちは、いと高き神のしもべたちで、救いの道をあなたがたに宣べ伝えている人たちです。」と叫びました(17節)。彼女が言ったことはすべて真実でしたが、その知識は悪魔から来たものでした。悪魔が吐き出されると、彼女は占いを告げる能力を失い、彼女の主人たちは収入源を失いました。
これこそ、それほどにまで占いを偽りと危険にするものです。大ヘビの霊を持っている人は、過去や未来に関する超自然的な知識と実際につながることができるのです。この手段は、自分のえじきとなる人をとらえて虜にするためのサタンのオカルトのおとりの餌なのです。
ほとんどの人々が将来に起こることを知りたいと願っています。占いはその願望を満たすものです。しかし、神は将来何が起こるかを知るのではなく、神の変わることのない誠実さに信頼して「見るところによってではなく、信仰によって歩む」ことを私たちに求めておられます(Ⅱコリント5:7)。しかし、時には私たちの願いや要求なしに、神が将来に関するご自身の啓示を私たちに与えてくださる時もあるでしょう。神が主導権を取られるとき、その結果は神の目的にかなうものでしょう。
多くの人々が占術に触れるもう一つの方法は占星術でしょう。無防備な思いで新聞などのあなたの星占いに何気なく目をやることは、あなたを悪霊的な影響にさらすことになりかねません。
こでも多くのクリスチャンが騙されます。彼らはその罠に気づかず、そのようなものは害がないと思っています。私はかつて占術の霊からの解放を必要としていたクリスチャンの女性を取り扱ったことがあります。彼女は、どのようにしてそのような悪霊が自分の中に入ることができたか理解できないでいました。私が彼女に質問すると、ようやく自分が時々新聞の占星術を見ていたことに気づきました。彼女は、自分が占術の悪霊に心を開いたことを認識し、ショックを受けました。
悪魔への扉を開くもう一つの可能性は、格闘技への関与です。格闘技(特に部族の中での)は、偶像礼拝と悪魔的行為が浸透した文化から始まっていることが多いのです。
オカルトが働くもう一つの主な枝は、魔術です。魔術は身体的感覚への影響を与える様々な手段を用います。その道具には、薬物、薬草、お守り、魔除け、呪術、呪文、まじないなどがあります。
黙示録は、人類の一部が殺されることによる終わりの日の2つの神のさばきを書いています。そして、残った人々が、「・・・その殺人や、魔術や、不品行や、盗みを悔い改めなかった。」(黙示録9:20-21)と言うこと場で終わっています。魔術と訳されているギリシャ語は、薬物が文字通りの意味です。英語のNIV訳、日本語の新改訳ではそれを魔術と変えています。ここでの魔術につながる悪霊的行為は、殺人、不品行、盗みです。薬物依存は往々にして他の悪霊たちへの扉を開いてしまいます。
申命記18:10-12で、主はオカルトに関与することについてこう宣言しています。
「あなたのうちに自分の息子、娘に火の中を通らせる者があってはならない。占いをする者、卜者、まじない師、呪術者、呪文を唱える者、霊媒をする者、口寄せ、死人に伺いを立てる者があってはならない。これらのことを行う者はみな、主が忌みきらわれるからである・・・」
「忌みきらう」と訳されている語は、主が憎み、拒絶するものに対するヘブル語の最も強い単語です。神はそのような人々を、異教の神に自分の子どもをいけにえとしてささげる人々と同じ部類に置いています。神があらゆるオカルト的行為をどれほど激しく憎まれているかを理解することは、私たちの文化においては容易ではありません。
偽りの宗教
偽りの宗教はオカルトと密接に関連しています。両方ともが、平安と力、知識、神へのアクセスという私たちが求めるものを約束します。偽りの宗教とオカルトは、私たちを光に導くと説きながら、実際には暗闇におびき寄せます。
私たちはどのようにして自分自身を守ることができるでしょうか。ヨハネ10:9でイエスは言われました。「わたしは門です。だれでも、わたしを通って入るなら、救われます。」また、こう言われています。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」(ヨハネ14:6)。数多くの様々な門が超自然の領域へと導きます。しかし、神の超自然の領域へと導く門はただ一つです。その門とは、イエスです。イエス以外の門を通っても、超自然の領域に入ることはできますが、それはサタンの領域であって、唯一まことの神の領域ではありません。
サタンは無神論やヒューマニズムなどのようなイデオロギーを通して、人類へできる限りのダメージを与えます。しかし、偽りの宗教はサタンの手にある力強い無限の道具です。今この瞬間も、多くの人が偽りの宗教の虜となっています。
オカルトの他のかたちと同様、現在行われている偽りの宗教のすべてを上げることは不可能です。しかし、ここに偽りの宗教の5つの主な特徴を挙げておきます。
1.複数の神を認める宗教
初代教会は、多神教の文化に囲まれていましたが、Ⅰコリント8:5-6でパウロは、クリスチャンの立場を定めました。
「なるほど、多くの神や、多くの主があるので、神々と呼ばれるものならば、天にも地にもありますが、私たちには、父なる唯一の神がおられるだけで、すべてのものはこの神から出ており、私たちもこの神のために存在しているのです。また、唯一の主なるイエス・キリストがおられるだけで、すべてのものはこの主によって存在し、私たちもこの主によって存在するのです。」
2.偶像礼拝をする宗教:
偶像礼拝は十戒で禁じられ、それを行なった者には最も重い罰が科される、第一の定めの罪です(参照:出エジプト20:3-5)。
3.人間の存在は最終的に神になると教える宗教:
これは、エデンの園でのサタンの最初の誘惑です。「あなたがたが神のようになり…」(創世記3:5)。
この言葉には、自己矛盾が含まれています。人類を含む万物を創られた神ご自身は、被造物ではありません。被造物である人間が、創造主のようになることは、論理的に不可能です。造られたものが創造主になることは決してできません。それでも、神のようになれるというこのまやかしが、あらゆる世代において人類の自己賞賛というプライドに訴えかけてきたのです。
4.人は、自分の努力によって義を達成することができると教える宗教:
これもまた、人間の高慢に訴えかけるものです。高慢な人々は、困難で不条理な働きのかたちや自ら課した苦悩さえ、要求する宗教的システムに引きつけられます。その要求が厳しいほど、その要求を満たしていると感じるプライドの度合いが大きくなります。
5.わずかな特権階級だけが得られる秘密の知識を提供する宗教:
この知識へのアクセスは通常、最初の特別な儀式を要求します。紀元1世紀に、使徒たちはこの欺きのかたちについて信者たちに警告していました。その誤りについて、パウロはⅠテモテ6:20-21でテモテに警告しています。
「テモテよ。ゆだねられたものを守りなさい。そして、俗悪なむだ話、また、まちがって『霊知』と呼ばれる反対論を避けなさい。これを公然と主張したある人たちは、信仰からはずれてしまいました。恵みが、あなたがたとともにありますように。」
モルモン教とフリーメイソンは、最初の厳しいプロセスを経験した人だけに秘密が明かされる宗教の例です。
一方、キリスト教は開かれています。それには最初の特別なプロセスはなく、秘密の儀式もありません。キリスト教の信仰の土台は、開かれた書物である聖書です。すべての人が聖書を学ぶように勧められています。
偽りの宗教は、常に何らかの方法で人間のプライドに訴えかけます。一方、福音は努力して得られるものではなく、神の恵みによって私たちは救われ、神ご自身が与えてくださる信仰によって受け取るものであることを強調しています。エペソ2:8-9でパウロは、救いはプライドに余地を残さないと言っています。
「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。」
Ⅰコリント10:20-21でパウロは、すべての偽りの宗教は悪霊の力によるもので、クリスチャンはいかなる方法でも関わってはならないと強調しています。
「彼らのささげる物は、神にではなくて悪霊にささげられている、と言っているのです。私は、あなたがたに悪霊と交わる者になってもらいたくありません。あなたがたが主の杯を飲んだうえ、さらに悪霊の杯を飲むことは、できないことです。主の食卓にあずかったうえ、さらに悪霊の食卓にあずかることはできないことです。」
オカルトと偽りの宗教の概念は、どれほど複雑なものであるかに尽きます。それを定義したり、表現したりする簡潔な方法がありません。あなたは多くの巧みな触手を、犠牲者を締め付けるタコと比べることができるかもしれません。まさに犠牲者が一本の触手から自分を守っている間に、もう一つの触手が見えない側からその人を締め付けようとしているようなものです。
もし、あなたが今までにオカルトや偽りの宗教に関わったことがあるなら、たとえそれが不注意であれ、試しのようなものであれ、神はそれを悔い改め、その罪を告白し、イエス・キリストに赦しときよめ、解放を求めることを願っておられます。そして、あなたが砕かれ、きよめられるために、オカルトや偽りの宗教に関するすべての本や対象物は破壊されなければなりません。
コード: TL-L052-100-JPN









