サタンの王国の構造

デレク・プリンス
*First Published: 1989
*Last Updated: 2026年3月
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これは、「私たちが直面する敵」というテーマの4回にわたる学びの第一回です。イエスに従うすべての人は、自分たちが敵に直面していることを認識していなければなりません。なぜなら、力強く活発な敵が自分に立ち向かっているのに、その敵の存在にさえ気づかないことは、非常に危険な状態だからです。私たちが直面している敵は肉体を持った人物ではなく、目に見えない霊的存在です。このテーマで取り扱うのは、人間の感覚では見分けることができないものです。聖書は、「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの」、つまり、目に見えない霊的なものについて語っています。これからお話しすることは、聖書を通してしか理解できません。聖書以外に信頼できる情報源はありません。
これは、「私たちが直面する敵」というテーマの4回にわたる学びの第一回です。イエスに従うすべての人は、自分たちが敵に直面していることを認識していなければなりません。なぜなら、力強く活発な敵が自分に立ち向かっているのに、その敵の存在にさえ気づかないことは、非常に危険な状態だからです。私たちが直面している敵は肉体を持った人物ではなく、目に見えない霊的存在です。このテーマで取り扱うのは、人間の感覚では見分けることができないものです。聖書は、「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの」、つまり、目に見えない霊的なものについて語っています。これからお話しすることは、聖書を通してしか理解できません。聖書以外に信頼できる情報源はありません。
ですから、このようなテーマに取り組むとき、私たちはまず心を整え、自分にこう言い聞かせることから始めなければなりません。「自分が見たり、触れたり、聞いたり、味わったりすることのできるものに限定するのではなく、聖霊を通してみことばで与えられる、異なる世界のものに対する啓示に心と思いを開きます。」パウロは、エペソのクリスチャンたちのために、神が彼らにご自身の知恵と知識の啓示を与えてくださるように祈りました。そして今、私たちが神のことばに心を開くとき、神が私たちに知恵と知識の霊を与えてくださるように祈ります。なぜなら、私たちは啓示によってのみ知ることができる事柄を扱っているからです。
私たちが扱うのは、実は2つの王国についてで、その2つの王国は互いに対立しています。しかし、それらは、スウェーデンやイギリスなどのような国家ではなく、目に見えない霊的な王国です。一つは神の王国、もう一つはサタンの王国です。
まず、マタイ 12:26 節と 28 節を読みましょう。イエスはパリサイ人たちから、イエスが悪霊を追い出すことができるのは、イエスが悪霊のかしらベルゼブルの仲間だからだと非難されました。イエスは、それは非論理的な説明で、あり得ないと言いました。それを指摘したうえで、次の2つのことを言いました。まず 26 節です。
「もし、サタンがサタンを追い出していて仲間割れしたのだったら、どうしてその国は立ち行くでしょう。」
つまり、イエスご自身が言われたように、サタンは王国を持っています。多くのクリスチャンは、そのことを理解することが難しいかもしれませんが、ここで明確に述べられているのです。そして 28 節。
そして、その2節先でイエスは言います。
「しかし、わたしが神の御霊によって悪霊どもを追い出しているのなら、もう神の国はあなたがたのところに来ているのです。」
もう一つの王国、すなわち、神の王国(神の国)があります。つまり、ここに神の王国とサタンの王国という目に見えない2つの霊的な王国があるのです。そしてイエスは、ご自分の働きの中には、その2つの王国を明るみに出すという一つの特定の側面があり、それはご自身の力と権威によって悪霊を追い出すことであると言っています。目に見えない霊的な存在である悪霊は、サタンの王国の代表です。イエス、イエスに仕える者、イエスの働きに従う者たちは、神の王国の代表であり、悪霊を追い出すことで、神の王国とサタンの王国の目に見える衝突が明るみに出されるのです。
また、イエスとそのしもべたちが悪霊を追い出すことができるという事実は、神の王国がサタンの王国よりも力強いという何よりの証拠です。だからこそサタンは解放のミニストリーを特に嫌い、妨害するのだと私は思っています。それによって、サタンが秘密にしておきたいことが明るみに出され、イエスの王国が自分の王国よりも力強いことが証明されるからです。
では、サタンの王国の性質と構造についてお話しします。エペソ 6:12 は、このことを示している主要な節だと思います。繰り返しますが、私たちは今、人間の五感では認識できないことについて話しています。エペソ 6:12 です。
「私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。」
この聖句の私自身の翻訳を提示したいと思います。私は 10 歳からギリシャ語を勉強し、大学で教える資格も持っています。自慢するのでも、私が正しいと言っているのでもなく、個人的な意見として言わせてください。リビング・バイブルでは、「戦う相手は、血や肉を持った人間ではなく、肉体のない者たちです」となっています。これはとても分かりやすいと思います。私たちが取り扱うのは、人格を持っているということを理解する必要があります。そのことを理解しないと、私たちは目隠しされたボクサーのようです。人格を持ってはいますが、それは肉体を持たない人格で、霊的存在です。「私たちの格闘」、これは非常に激しい対立です。人間同士の対決の中で、格闘技は最も激しいものだと思います。一人がもう一人に真っ向から立ち向かいます。パウロが、サタンの王国に対する私たちの戦いにこのフレーズを用いたのは、偶然ではありません。全面戦争です。「私たちの闘いは肉体を持った人間に対するものではありません。」ここで、私の翻訳バージョンを紹介します。「しかし、様々な領域と権威順による支配権に対するもの、現在の暗闇の世界の制圧者たちに対するもの、天上にいる悪霊の軍勢に対するものです。」私が指摘したいのは、サタンの王国は乱雑なのではなく、高度に組織化された王国であることです。サタンは、御使いたち大部分を統率する天使長の一人に過ぎなかったので、信用はなかったと思います。サタンは神からの組織的なシステムが与えられていましたが、神に反抗し、御使いたちを反逆へと引きずり込み、単純にそのシステムを用いて、神に敵対したのです。ですから、サタンは高度に組織化された王国を持っていないと思い込まないでください。先ほども言いましたが、サタンは信頼されていません。信頼は神のものです。しかし、サタンは間抜けではないという事実を考慮してください。サタンは抜け目がなく、強力で邪悪な存在です。
では、私の翻訳バージョンを簡単に説明します。「支配権に対するもの」を、私が「支配権」と訳したのは、ギリシャ語の単語が抽象的だからです。ほとんどの現代語訳では「支配者」となっていますが、そうではありません。「支配権」です。サタンの王国の霊的権威には一定のレベルがあり、それが支配権のレベルです。それらの支配権のある者の下には、様々な権限を持つ副支配者がいます。その副支配者の下にはさらに小さな権限を持つ者たちがいます。つまり、一人の支配者が大きな権限を持ち、その権限の一部の権限を持つ部下たちがおり、さらにそれよりも小さな権限を持つ部下たちがいます。日本の会社で例えると、社長がおり、その下に各部長、さらに各課長、さらにその下に各係長がいるという感じです。それが最初のイメージです。それがどのように機能しているかは、あとで旧約聖書から明確な例を紹介します。
それから、「現在の暗闇の世界の制圧者たちに対するもの」です。私は故意に「制圧」という語を用いました。それがサタン的な言葉だからです。神は決して制圧しません。あなたが制圧に遭遇するとき、その背後にいるのはサタンです。サタンの野心、願望、戦略は、この世界全体を制圧する立場に来ることです。 サタンは暗闇のシステムで制圧します。神の国は光の王国で、サタンの王国は暗闇の王国です。神の王国にいる人たちは、自分が誰に仕え、自分が何をしているのかをとても明確に理解しています。サタンの王国にいる人たちのほとんどは、自分が仕えているものの正体さえ知らず、実際に自分が何をしているのかも知りません。
次のフレーズは、「天上にいる悪霊の軍勢に対するもの」です。邪悪で強力、反抗的な霊的存在の全軍は「天上」と呼ばれる領域にいます。教会では、サタンが地獄にいるというのが伝統的に受け入れられてきました。ほとんどの人がそのように考えています。それに対する私の見解は、サタンが地獄にいるのが真実なら、素晴らしいことだけれど、そうではない、ということです。聖書の中で、それを保証しているものはありません。それについてはあとで話しますが、サタンの王国がどのように誕生したのかを簡単に見ていきましょう。
イザヤ 14 章のいくつかの節を読んでいきましょう。これらの箇所は、「ルシファー」と呼ばれる存在について書かれています。ルシファーという語の語源はラテン語で、「光をもたらす者、輝く存在」という意味です。ヘブル語では helel で、「明けの明星」という意味です。いずれにしても、それは非常に明るい、輝く栄光ある人物という意味です。私自身も、ルシファーは大天使と呼ばれる存在であったと信じます。
大天使の英語「archangel」の arch(アーク)の語源はギリシャ語で、意味は「治める」です。つまり、大天使とは、他の御使いたちを治める御使いのことです。大司教(archbishop)にも同じ語が見られます。大司教とは、他の司教たちを治める司教です。ここには、神の天の軍勢の中で主要な大天使の一人が描かれています。彼の名はルシファーです。彼がそのように呼ばれたのは、彼が非常に輝かしく、美しかったからです。しかし、彼は悲しい過ちを犯しました。自分の創造主に反抗して、自分を神と等しくしようとしたのです。
ルシファーとイエスの明らかな違いを比較してみましょう。ルシファーは造られた存在であり、神と同じではありません。ルシファーは神と同等を求めて失敗しました。イエスについて、ピリピ 2:6 にこう書かれています。
「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、」(新共同訳)
キリストは神格の主権により、神と等しい地位にありました。しかし、キリストはご自身をへりくだらせたので、神がキリストを高く上げられたのです。イザヤ 14:12 から始まる場面を見てみましょう。
「暁の子、明けの明星よ。どうしてあなたは天から落ちたのか。国々を打ち破った者よ。どうしてあなたは地に切り倒されたのか。」
ルシファーの反抗の動機が分かります。次の節で、英語で「私は~しよう」というフレーズが5回出てきます。日本語で「~ろう」に掛かる5つの動詞です。「天に上ろう、王座を上げる、すわろう、頂に上る、いと高き方のようになろう。」被造物の意志は神のみこころに敵対しています。キーワードは、反抗です。
「あなたは心の中で言った。『私は天に上ろう。神の星々のはるか上に私の王座を上げ、北の果てにある会合の山にすわろう。密雲の頂に上り、いと高き方のようになろう。』」
「いと高き方」とは、全能の神のことです。その語には、「私は神と等しくなる」の意味もあります。
つまり、サタンの野心は、神と同等の地位にまで自分を高くすることだったのです。サタンがそう考えるようになったのは、自分はとても賢く、美しく、輝かしい存在であったためで、自分は神のようになれると自分に言い聞かせたのです。これは私の個人的な意見に過ぎませんが、彼は自分の指揮下の御使いたちにも反抗に加担するように動機づけたのではないでしょうか。私はこう想像します。あなたも、次のようなことが天で続いていると想像してみてください。それはすべて天で始まりました。信じられないかもしれませんが、事実です。ルシファーが自分の指揮下にあった御使いたちのところへ行って、こう言うのです。「君は本当に才能があるね。まれに見る才能だ。神は君の才能を全然評価していない。しかし、私が上司だとしたら、君に本当にふさわしいポジションを与えるのに。」そして、これも推測に過ぎませんが、御使いの三分の一の神への忠誠心を損なったのです。彼らを利用して彼は反逆し、堕落しました。神はこう言いました。「あなたはよみに落とされ、穴の底に落とされる。」
エゼキエル 28 章では、この同じ際立った存在について、別のイメージが描かれています。エゼキエル 28 章には2つの部分から成っています。それぞれは、嘆き、あるいは災いの宣告です。一つは、ツロの君主についてで、もう一つはツロの王についてです。今は時間がありませんが、その章を詳しく学ぶと、ツロの君主は人間であったことがわかります。彼は自分が神であると主張したにもかかわらず、人であることは非常に明確です。一方、ツロの王の記述を読むと、彼は人間の存在でなかったことが明らかです。ここで、私たちはサタンの王国がどのように機能しているかについて興味深いイメージが見えてきます。私たちにはツロの君主、つまり人間の支配者がいますが、その背後の見えない領域には、サタンの支配者であるツロの王がいるのです。人間の支配者は、ある意味、目に見えない領域から動きを指図する糸によって動く操り人形に過ぎません。この真理を理解し始めたなら、歴史や政治は全く異なる意味合いを帯びてきます。歴史上の偉人と呼ばれる人たちの多くは、目に見えないサタンの王国からの糸で動かされてきたサタンの操り人形に過ぎないのではないかということです。とにかく、この第二の存在、ツロの王について、みことばが何と言っているかを見てみましょう。エゼキエル 28:12 からです。
「あなたは全きものの典型であった。知恵に満ち、美の極みであった。あなたは神の園、エデンにいて、あらゆる宝石があなたをおおっていた。赤めのう、トパーズ、ダイヤモンド、緑柱石、しまめのう、碧玉、サファイヤ、トルコ玉、エメラルド。あなたのタンバリンと笛とは金で作られ、これらはあなたが造られた日に整えられていた。」
サタンを信じている聖書学者はかなり多くいます。その時はまだ、サタンと名前を変えていなかったルシファーは、天での礼拝音楽団の責任者でした。今もサタンは音楽に詳しく、人々を魅了する手段の一つとして音楽を用いていることを知っておくことは重要です。続けて 14 節を見ましょう。
「わたしはあなたを油そそがれた守護者ケルブとともに、神の聖なる山に置いた。」[何を、誰が守るのでしょう。神の御座を、ケルブが守ります。聖書は、広げた翼で神の御座を覆うケルブ、あるいはケルビムがいることを明確にしています。それは名誉で光栄な立場です!]「あなたは火の石の間を歩いていた。」[これは人間ではないことがわかります。]「あなたの行いは、あなたが造られた日からあなたに不正が見いだされるまでは、完全だった。」[神 は、彼が造られた存在であり、神ではないことを彼に思い起こさせています。また、不正という言葉よりも、反抗の方がいいでしょう。]「あなたの商いが繁盛すると...」
箴言で同じ語が、陰口をたたく者として使われています。商人は自分の商品を見せて売り歩くので、商いという語が使われています。しかし、この語は陰口をたたく者にも使われているのは、商人があちこちで陰口を言って回るからです。ですから、サタンが自分の部下の御使いたちにこう言って回っていたのではないかと思うのです。「私がその地位に就いていたら、君を昇進させるよ。君はふさわしい権限を持つことができるだろう。」これは単に私の意見です。続けましょう。
「あなたの商いが繁盛すると、あなたのうちに暴虐が満ち、あなたは罪を犯した。そこで、わたしはあなたを汚れたものとして神の山から追い出し、守護者ケルブが火の石の間からあなたを消えうせさせた。」
「そこで」に注目してください。「そこで」は何を暗示しているのでしょうか。反抗に対する神のさばきです。そして、サタン(ルシファー)の本当の動機が分かります。
彼がサタンになるまでは、ルシファーと呼ぶことにします。17 節です。
「あなたの心は自分の美しさに高ぶり、その輝きのために自分の知恵を腐らせた。」
ルシファーの最初の動機は何でしたか。最初の罪は何でしたか。「高ぶり」です。私たちはそのことを忘れてはいけません。宇宙での最初の罪は、地上ではなく、天で起こりました。それは酔っぱらうことでも、姦淫でも、嘘をつくことでもありませんでした。高ぶりでした。そしてこのことを信じてください。高ぶりは、あらゆる罪の中で最も致命的で危険なものです。教会に通う多くの人は、姦淫や飲酒をしませんが、簡単に高ぶりに誘惑され、それがどれほど危険であるのか気づいてさえいません。
ここで、多くの人たちの頭に浮かぶ質問を取り扱いましょう。「もし、サタンが天から追い出されたのなら、彼はどうして今も天上にいることができるのか」です。答えはとてもシンプルです。天は一つではありません。「天」は複数形です。聖書の最初の節では、天は複数形で表されています。「初めに、神が天(複数形)と地(単数形)を創られた。」聖書では一貫して、天は複数形で表されています。
2つの聖句を見てみましょう。第二コリント 12:2 でパウロは、超自然の領域で驚くべき体験をした人々について語っています。
「私はキリストにあるひとりの人を知っています。この人は十四年前に──肉体のままであったか、私は知りません。肉体を離れてであったか、それも知りません。神はご存じです、──第三の天にまで引き上げられました。」
私は牧師になる前は、論理学者でした。私の中にまだ残っていた論理的思考はこう考えました。「第三の天があるなら、第一の天と第二の天があるはずで、第一と第二がなければ、第三はあり得ない。」つまり、パウロが言っているように、第三の天があるなら、少なくとも3つの天があることになります。天は複数形です。もう一つの聖句でそれを確かめましょう。エペソ 4:9 と 10 です。イエスの十字架の死と復活と昇天の間に起こったことついて、こう書かれています。
「──この『上られた』ということばは、彼がまず地の低い所に下られた、ということでなくて何でしょう。この下られた方自身が、すべてのものを満たすために、もろもろの天よりも高く上られた方なのです──」
「もろもろの天」というフレーズに注目してください。2つ以下のものに「もろもろ」という言葉を使うのは正しくありません。最低3つはあるということです。何年も前、私がケニアでアフリカ人教師を養成する大学の校長をしていたとき、一人の学生が私のところに来て言いました。「私の両親が全員、私に会いに来ました。」そこで私は言いました。「君の言っている意味は分かるが、2つ、2人しかないなら、英語では「全員」を使うことはできないよ。最低3つなければならないね。」ですから、パウロがイエスは、「もろもろの天よりも高く上られた」と言ったとき、天は最低でも3つあったということです。個人的には、天は全部で3つあると思います。これは私の個人的な意見です。最近は聞かなくなりましたが、英語の表現で「私は第七の天にいた」(最高に幸せだった、という意味)と言う人がいます。それは使わない方がいいと思います。この言葉はイスラム教の聖典であるコーランから来ているフレーズであると思われますが、3つより多くの天があるという聖書的根拠はありません。もしあなたが本当に幸せだと感じたとき、「雲にも昇るようだ」と言うことは問題ありません。聖書は多くの雲があることを示しています。
さて、一つの意見を述べます。これは私が、単に可能性が高いと思っていることです。信じなくても構いません。私は、パウロが知っていたこの人が上げられた第三の天とは、神の臨在、神の住まいである天であると信じています。そしてそこで、彼は語ることのできないことばを聞きました。まさしく、神ご自身のことばです。第一の天は、私たちの目に見える天であると考えています。そして第二の天は、第一の天と第三の天との間、つまり、私たちが住む地球と神が住む天の間のどこかにあるのです。これも私の見解です。聖書の中にも、私たちの経験においても、それを裏付けるものがたくさんあると思います。ですから、私たちと神の間にサタンの王国があるということです。これは、私たちの人生で起こることと大きく関係していると思います。
「打ち破りの祈り」というフレーズを聞いたことがありますか。打ち破りとは何でしょうか。私がまだ主を知らないときに初めて主を求めましたが、一時間祈ろうとしても、一言も言葉が出てきませんでした。私は真剣に求めていました。そして、なんとか打ち破ることができました。振り返ってみると、私が打ち破ったものは、イエスと直接個人的に接触することに反対していたサタンの力だったと思います。それが私の人生のターニングポイントでした。ですから、伝統的なペンテコステ派の人が「打ち破りの祈り」について話すのを笑わないでください。彼らの方法は少し型破りな部分があるかもしれませんが、真理がそこにあるのです。これは私たちの霊的戦いの一部です。
いくつかの例を紹介しますが、あなたと神の間には対立する王国があるということを、あなたが理解し始めると、あなたの霊的な経験に大きな理解力が生まれるでしょう。祈りを学ぶことにもつながるでしょう。
これらの領域に役立つ情報を含んでいるダニエル書を開きましょう。ダニエルの人生における、ある出来事を取り上げたいと思います。これは、私が引き出そうとしている原則を描いています。ダニエル 10 章です。もしあなたが興味を持ったら、この章を注意深く学ぶ必要がありますが、時間の節約のために、簡単に背景を説明します。ダニエルは非常に成熟した信者で、ある時、3週間の断食をしました。これは、現在「ダニエルの断食」と呼ばれます。すべての食物を絶ったのではなく、非常にシンプルな基本的な食物だけを食べ、ぶどう酒も贅沢な飲み物も飲みませんでした。リビング・バイブルには、「もちろん、茶菓も手にすることはありませんでした」と書かれています。ダニエルは、自分の民であるユダヤ人の将来を理解するために、真剣に神を求めていました。そして3週間祈り続けましたが、何も起こりませんでした。これが、私が言いたいことです。そして、驚くべき力を持った御使いが、彼の祈りの答えを携えてやって来ました。その御使い臨在の力強さに、ダニエルと共にいた人々は震え上がって逃げ出してしまいました。のちにヨハネがイエスの復活と昇天の後、イエスを目撃して死者のようになってその足元に倒れた時のように、ダニエルはからだの力を全く失いました。しかし、この御使いは、ダニエルの祈りの答えを持って、神から遣わされてやって来たのでした。
私が強調したいポイントは、この点です。ダニエルが祈り始めた最初の日に、その御使いは遣わされました。しかし、御使いが到着したのは3週間後でした。神の御座からダニエルのいる地上までの途中でサタンの妨害に遭ったからです。その妨害は人間からのものではありませんでした。人間には、そのように御使いに立ち向かうことはできません。それは地上ではなく、神のいる天でもなく、神のいる天と地上の間にあるどこかの領域でした。私はサタンの王国の領域であったと考えます。つまり、御使いは、神が遣わしたメッセージを届けるために、サタンの王国を突破しなければならなかったのです。そして御使いは特定の存在について語っています。一人は「ペルシャの君」、もう一人は、「ペルシャの王」、のちに「ギリシャの君」です。そして、よく見てみると、それらは一人として人間の存在ではないことがわかります。それらはみな、ダニエルのもとへ行こうとする御使いに敵対するために全力を尽くしたサタンの使いという存在です。
驚きで身震いするようなことを話します。ダニエルの祈りは、すべての天を動かしました。その祈りは、神の御使いを自分の道に置き、サタンの使いが敵対するように駆り立てました。そして、ダニエルは答えを得るまでに 21 日間祈り続けなりませんでした。あなたは祈っていても、答えを得ることができないときがありますが、それは間違ったことを祈っているからではありません。正しいことを祈っていても、妨害されることがあるのです。ですから、妨害に打ち勝つ方法、打ち破る方法、それらの力に勝利する方法を一緒に考えていきたいと思います。
では、御使いがダニエルに言ったことを見てみましょう。ダニエル 10:12 です。
「彼は私に言った。『恐れるな。ダニエル。あなたが心を定めて悟ろうとし、あなたの神の前でへりくだろうと決めたその初めの日から、あなたのことばは聞かれているからだ。私が来たのは、あなたのことばのためだ。』」(ダニエルは、どのようにへりくだったのでしょうか。断食によってです。 断食は私たち自身を神の前にへりくだらせる方法です。)
つまり、ダニエルが祈り始めた最初の日に、神は私を遣わしたと言っています。では、なぜ御使いはすぐに着かなかったのでしょうか。神の御座から地上への道のりが 21 日もかかるからではありません。 13 節を読みましょう。
「『ペルシャの国の君が二十一日間、私に向かって立っていた...』」
ペルシャの国の君とは誰でしょうか。おそらくサタンです。ペルシャ帝国に対する神の目的に抵抗するために、サタンがペルシャ帝国に置いたサタンの使いです。
少し考えてみましょう。なぜこの時代にペルシャ帝国は重要だったのでしょうか。イスラエルの歴史を調べてみると、ユダヤ人が神に背を向けて自分たちの土地から追放されたあと、ユダヤ人を支配した異邦人の帝国が4つ続きました。一つ目は、彼らが捕囚として連れて行かれたバビロンで、二つ目は、ダニエルの時代に勢力を持っていたメド・ペルシャ、あるいはペルシャでした。三つ目はギリシャで、4番目はローマでした。人類に対する神のすべての目的がユダヤ人に集中していたのは、救い主メシアが起こるのは、ユダヤ人からだったからです。そして、神の目的がイスラエルに集中していたので、サタンの妨害もまた、イスラエルに集中していたのです。言い換えれば、あなたが神の計画の中心にいる時、そこが最もサタンの妨害があるところなのです。それを心に留めておくことが重要です。
つまり、サタンがしようとしていたのは、ユダヤ民族、イスラエルを捕らわれの状態にして、自分たちの土地に帰らせないことでした。ダニエルが祈っていたのは、イスラエルが自分たちの土地に帰ることでした。ですから、このペルシャ王国というサタンの君は、ダニエルに抵抗したのです。そして御使いは続けて言います。
「『そこに、第一の君のひとり、ミカエルが私を助けに来てくれた』」
この御使いは自分の力では打ち破ることができませんでした。これは実に興味深い描写です。なぜミカエルは来たのでしょうか。大天使たちの間でのミカエルの特定の仕事は何ですか。ミカエルには、一つの非常に重要な任務がありました。ダニエル 12:1 を少し見てみましょう。
「その時、あなたの国の人々を守る大いなる君、ミカエルが立ち上がる。」
ダニエルに語られている、「あなたの国の人々」とは誰のことですか。ユダヤ人です。つまり、ミカエルが中心にいるときは、常にユダヤ人が歴史の舞台の中心にいると考えて間違いありません。というのは、ミカエルの特定の任務とは、ユダヤ人を見守り、彼らを滅ぼそうとするサタンの試みから守ることだからです。
ダニエル 10 章に戻りましょう。13 節で、御使いはこう言っています。
「私は彼をペルシャの王たちのところに残しておき」
ここでは、「王たち」と複数形になっています。私たちの通常の用法とは反対に、「君」が最高支配者で、王たちは彼の下にいたように思われます。つまり、一人の君(王子)がおり、その下に多くの王がいたということです。それが、先ほど言った、「様々な領域と権威順による支配者たち」ということです。
その王たちの仕事は何だったのでしょうか。聖書はそのことについて何も書いていませんが、私が個人的に信じているのは、イギリスを例にとってみましょう。サタンはイギリスを支配する王子を持っているということを私は疑いません。その王子の下には、おそらくイギリスの各主要都市を支配する下位の支配者がいます。説教者として巡回する中で、私は一つの都市に着くと、アンテナを張り巡らし、その都市を支配している特定のサタンの力を見極めようとしてきました。さて、ペルシャ王国には様々な民族グループがおり、主要な各民族グループにはサタンの力が働いていたと考えています。誤解を恐れずに言いますが、これは、アメリカ・インディアンのケースにおいて特に顕著で、非常に悲劇的な話です。なぜなら、アメリカにもたらされたあらゆる霊的、物質的祝福の中で、アメリカ・インディアンたちはその恩恵をほとんど味わうことができなかったからです。そして、彼らは魔術に非常に深く関わっています。私は、アメリカ・インディアンを暗闇と束縛の中にとどめておくという任務を与えられた特定のサタン的人物が、基本的に今日まで優勢であったのではないかと思います。他の多くの民族については、時間がないので割愛します。
そしてもちろん、ペルシャ帝国にも様々な宗教があったでしょう。そして、各宗教グループやカルト、異端にはそれぞれ特定の支配者がいたと考えられます。
神の御使いは、サタンの使いの集団にダニエルのところに行くのを妨げられました。しかし、ミカエルが来たとき、その御使いは突破してダニエルに伝えたメッセージはこうでした。「私が帰る時、何が起こるかをあなたにお教えしましょう。」ダニエル 10:20 を見てみましょう。
「そこで、彼は言った。『私が、なぜあなたのところに来たかを知っているか。今は、ペルシャの君と戦うために帰って行く。』」
つまり、ペルシャの君との戦いはまだ終わっていないのです。ペルシャの君を倒したあと、ペルシャ帝国はどうなるのでしょうか。そう、崩壊です。それは少し後に起こりました。しかし、それは最後の帝国ではありませんでした。ですから、御使いは言っています。
「『私が出かけると、見よ、ギリシャの君がやって来る。』」
次の大きな帝国を支配するサタンです。アレクサンダー大王のもと、ギリシャ帝国はペルシャ帝国を完全に打ち負かし、地上の広大な領域を支配するようになりました。アレクサンダーは 10 年間で、西はギリシャから東はインドまで、さらには地中海の南沿岸地域まで征服し、軍事的征服の中で最も驚異的な偉業の一つです。しかし、もう一人いたのです。彼の背後にいた「君」です。人類の歴史における主要な出来事のほとんどは、「背後の君」といったような言葉でしか完全には説明できないのではないかと私は思っています。
そして御使いはこう言います。21 節です。
「しかし、真理の書に書かれていることを、あなたに知らせよう。」
言い換えると、「私はまさに神のことばをあなたに知らせに来た」です。そして、次の 11 章にそのことが書かれています。21 節の続きから 11 章にかけてこう言っています。
「あなたがたの君ミカエルのほかには、私とともに奮い立って、彼らに立ち向かう者はひとりもいない。──私はメディヤ人ダリヨスの元年に、彼を強くし、彼を力づけるために立ち上がった。──」
ダリヨスは、バビロン帝国を倒して侵攻し、その場所を奪った最初のメド・ペルシャの支配者でした。ダリヨスとその次のクロスは、ユダヤ民族が自分たちの土地へ戻り始める道を開きました。ですから、ある意味、ダリヨスによるバビロンの敗北は、神の目的における大きな霊的勝利です。御使いは、自分がダリヨスを強くすると言っています。
──私はメディヤ人ダリヨスの元年に、彼を強くし、彼を力づけるために立ち上がった。──」
ここでも、人間の支配者や人間の指揮官は、自分たちだけでは動くのではないことがわかります。彼らの背後には、神の御使いとサタンの使いとの見えない力があります。神の御使いたちは、地上で神の目的を前進させる支配者たちや人々を強め、サタンの使いはそのような人たちに抵抗します。これが、クリスチャンが自分の国の支配者たちのために祈るべき一番の理由です。クリスチャンはサタンの使いの活動を阻止し、神の御使いの活動を解放する祈りをすべきです。
しかし、この特定の状況では、ダニエルが祈るまでは何も起こらなかったことを忘れてはなりません。この啓示ほど、私たちを祈らせるチャレンジはないと思います。不思議に思えるかもしれませんが、ダニエルの祈りは、神の御使いが打ち破ることを可能にした力の一つであったように思います。もしかすると、あなたは自分の祈りができることの可能性を過小評価してきたかもしれません。
ルシファーという存在から転落したサタンは、反抗的な王国を天上に作り、反抗的な御使いたちの軍勢を支配します。サタンとその仲間を表すキーワードは、「反抗」です。神への反抗です。サタンは、地上にも彼の下位層とも言える王国を持っています。地上でサタンが支配する人々を表すキーワードは、同じく「反抗」です。これはエペソ2章で明らかにされています。今話しているのは、空中のサタンの王国ではなく、サタンが地上で支配している人々についてです。エペソ 2:1、2 のことばは、クリスチャンに向けられています。
「さて、あなたがたは自分の背きと罪の中に死んでいた者であり、かつては、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者に従って歩んでいました。その霊は、今も不従順の子らの中に今も働いています。」(NKJV)
不従順の子らを表す語は、「反抗」です。神に反抗する者はみな、自動的にサタンの支配下に置かれます。教会に行って讃美歌を歌うだけでは十分ではありません。神への反抗心を捨てて、イエスに従わなければなりません。その時こそ、変化が訪れるのです。教会に通う多くの人たちは、今もなお反抗者です。実際にはサタンに支配されているのです。パウロは3節でこう続けています。
「私たちもみな、かつては不従順の子らの中にあって、自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行い...」
異論のある人はいるでしょうか。一つ言えることは、私は確かにそのような者でした。主が私を見つけ出してくださる前、私がどのような状態であったのかについては、疑いの余地がありません。私は反抗者であり、反逆の王国にいました。私はそれに気づいていませんでした。私は自分がとても賢く、とても成功していると考えていました。すべての答えを持っていると思っていました。聖書を読み始めるまでは。しかし、聖書を読み始めて、そうではないことがわかったのです。それを話す時間はありませんが、パウロが言っていたのは、このようなことです。
「「私パウロを含む使徒たちは全員、霊的力によってサタンに操られている反抗者の部類に属していたことを理解していなかった。誰が裏で糸を引いていたのか知らなかった。ただ糸が引かれるままに動いていた。そう、私たちもみな、かつては不従順の子らの中にあって、自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行なったのだ。」
肉の欲だけではなく、私たちが明け渡さない限り、私たちの思いは神から遠く離れ、神と敵対していることに注意してください。知識人は神の最も強烈な敵となり得ます。そして、パウロは言います。
「ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。」
これは、サタンの王国の下位層の描写です。地上の人類です。人種や宗派に関係なく、すべての人間が反抗者です。神が任命された統治者であるイエス・キリストに心から従わない限り、反抗者であり、サタンは霊的な力によってその人々を支配するのです。
さて、そこには非常に興味深いフレーズがあります。パウロは、「空中の権威を持つ支配者」と言っています。詳しくは話しませんが、「空中(空)」というギリシャ語はおもに2つあります。一つは「aer」で、これは英語のair の語源となっています。もう一つは「aither」で、英語で溶剤、エーテルを表すetherの語源です。今見ていくのは語源ではありません。事実として、「aer」は地表に隣接した低空で、「aither」は、それより高く、空気が薄い場所です。ここで使われている空中とは、どちらの語だと思いますか。低空です。つまり、サタンは地球の表面を支配しています。そこが彼の領域です。多くの興味深い推測があります。なぜなら、イエスが来られるとき、私たちは空中でイエスに会うために引き上げられると言われているからです。どちらの空中ですか。低空です。すべてを説明する時間はありません。理論的に説明できることはたくさんありますが、ここでは控えます。
ヨブ記 41 章には、おそらくあなたが気づかなかった、サタンの驚くべき姿が描かれています。この章全体で、海の巨獣の一種である「レビヤタン」という生き物を取り扱っています。私たちはレビヤタンについてあまり知らないのですが、無駄のない聖書が、一頭の海の巨獣だけのために 34 節を費やすと思いますか。実は、レビヤタンはサタンの型、イメージです。注意深く学ぶと、理解することができます。最後の節のことばからだけ、お話しします。ヨブ 41:34 です。
「それは、すべて高いものを見おろし、それは、すべての誇り高い獣の王である。」
それはサタンです。高ぶりはサタンが神に反抗する原因となった影響なので、高ぶりが人間の心に入るところでは、私たちは常にサタンの支配下に置かれます。ペンテコステ派であろうと、バプテスト派であるとか、カトリックであるとかは関係ありません。問題は、神に対する私たちの心の態度です。私たちがイエス・キリストを通して心から神に従い、神に明け渡す心を持っていない限り、あらゆる立派な宗教的用語を用い、あらゆる肩書きを誇ることができても、実際には、私たちはレビヤタンの王国のもとにいるということです。なぜなら、レビヤタンはすべての高ぶりの子たちの王だからです。
あなたは、高ぶりに反するメッセージを何度くらい聞いたことがありますか。基本的に、今の教会は、重要ではないことを重んじていると思います。何年も前、私が牧師であった時、人々の喫煙についてとても厳しく言いました。問題は、当時喫煙をしていた教会員はいなかったことです。しかし、妻と喧嘩をした人々については何も言わなかったのです。そして私は、自分は偽善者だと感じ、ある青年に、君はタバコを吸うので、教会員になれないと言ってしまいました。教会員の中には、夫や妻に対する態度や関係が非常に間違っている人たちがいることも知っていました。喫煙や飲酒、酩酊などのようなものは、単に小さな枝に過ぎません。しかし、その根は「反抗」です。マタイの福音書の福音を語る導入部分で、バプテスマのヨハネはこう言っています。
「斧もすでに木の根元に置かれています。」
それが、私たちが目指すべきことです。
では、サタンの野心、つまり目的を最後にまとめておきましょう。サタンは非常にはっきりした目的をもっています。おもに二つの野心を持っており、一つ目は、全人類を支配することです。エペソ 6:12 で使われている、「この暗やみの世界の支配者たち」というフレーズです。そして、二つ目の目的は、礼拝を受けることです。私たちはこれを理解する必要があります。ご存知のように、サタンは神との同等性を主張しましたが、失格とされました。しかし、その主張をあきらめたわけではありません。サタンがなおも主張できる方法が一つあります。何でしょうか。礼拝を受けることによってです。なぜなら、礼拝は神にのみ与えられるべきものだからです。ですから、サタンが礼拝を受けるときはいつも、「ほら、私はまだ神だ」と言っているのです。サタンの行動をよく分析してみると、彼の究極の目的は、全人類から礼拝を受けることです。そして預言的観点から、私の判断では、サタンのその野心の達成に非常に近づいています。
空中のサタンと彼の使いたちは、異教の神々であったと思います。すべての異教社会と異教の民族が礼拝する神々は、サタンとその使いたちを様々な方法で表しているに過ぎません。ゼウス、ヘルメス、ポセイドンなど、あらゆるギリシャの神々は、サタンの使いの単なるそれぞれの階級です。そして、人類のあらゆる文化を見渡すと、呼称は様々でも、同じ存在であるとわかります。彼らが礼拝しているのは、サタンとその使いたちです。
そして、堕落した人がサタンの王国につながってしまう特定の道があります。一般的な言葉で言うと、魔術で、様々な形であらゆる異教社会で広く行われています。異教の背景を持つ民族の大部分には、呪術医と呼ばれる人が必ずと言っていいほど存在します。言語によって様々な呼び名であっても、同じものです。ある意味、呪術医はサタンの祭司です。呪術医こそ、人々をサタンの王国に接触させることができる人なのです。呪術医はなぜそうしたいのでしょうか。理由は主に2つです。第一に、彼らはサタンが自分たちにもたらす災いをひどく恐れているからです。彼らのいけにえや儀式のほとんどは、非常に残酷で気まぐれなサタンをなだめるためなのです。そして、第二の理由は、彼らは力を欲しており、魔術は力を得るための手段なのです。海外の宣教地にいる宣教師たちに言いたいと思います。アフリカやインドに行って、現地の人たちに、「サタンは実在しない」と言ってはいけません。現地の人々はみな、サタンがいることを知っています。悪霊は実在します。彼らはサタン、悪霊をよく知っています。あなたが人々に伝えなければならないのは、悪霊は実在するが、イエスも実在し、イエスはサタンを打ち破ってくださったということです。そして、イエスは私たちにサタンを倒す力を与えてくださいます。結局のところ、宗教的な慣習としての魔術は人間の神への反抗の表れなのです。魔術は堕落した人間の自然な宗教で、それは全人類に浸透しています。それは、何か奇妙なものや異常なものではありません。
そして、最後に私が言いたいことは、現代の私たちに重要なことです。魔術は断固とした復活を遂げています。キリスト教が入って来たところでは、悪魔的な存在は押し出されたようであっても、完全に打ち負かされたのではありません。だから今、サタンはこう言っているのです。「今度は我々の番だ。我々は戻って来る。」
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