あらゆる恵み:あり余るほどに

ご自分の豊かさを私たちに与えるために、イエスは私たちの貧しさに耐えてくださいました

貧しい状態とは、

「飢え渇き、裸となり、あらゆるものに欠乏し」(申命記28:48)

ていることです。では、イエスはいつ貧しくなられたのでしょうか。私たちの罪をご自分のものとされた瞬間からです。その瞬間から、十字架の上で上の聖句にあるような完全な貧困になるまで、イエスはどんどん貧しくなっていったのです。

十字架上でのイエスの貧困は、単に霊的なものだけではありませんでした。肉体的にも、物質的にも貧しくなりました。ですから、どんな論理的法則から見ても、私たちの豊かさも霊的なものだけではありません。私たちが肉体的、物質的必要が満たされ、他の人々にも分け与えるために余るほどに豊かになるようにと、イエスは肉体的、物質的な意味においても完全に貧しくなられたのです。

コリント人への手紙第二9章8節は、イエスが貧しさののろいを負った事実を記している二つ目の聖句です。「神はあなたがたに、あらゆる恵みをあふれるばかりに与えることがおできになります。あなたがたが、いつもすべてのことに満ち足りて、すべての良いわざにあふれるようになるためです。」神はケチなお方ではありません。足りる分だけを与えるのではなく、それ以上のものを与えてくださいます。それが「豊かさ」です。上の聖句では、「あふれる」という語が二回、「あらゆる、すべて」という語が三回使われています。これ以上に明確な言葉はなく、その言葉が表現しているのは、神の恵みです。

興味深いことに、コリント人への手紙第二8章と9章は、お金のことを扱っており、そのキーワードは「恵み」で、8章で六回、9章では二回出てきます。それは「お金」という領域で機能する恵みです。しかし、神の恵みの本質を理解しているクリスチャンはほとんどいません。私は時々、「恵み」について多く語っている人々が、「恵み」を最も理解していないことを見かけるのです。

【祈り】

イエスさま、あなたの十字架のみわざを感謝します。イエスさまは、神の恵みがお金の領域に至るまでも、私を豊かにするために、完全に貧しくなられたことを宣言します。ご自分の豊かさを私に与えるために、イエスさまは私の貧しさに耐えてくださいました。アーメン。

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