私たち自身を神に献げる

私のからだは、神の働きのため、また神の栄光のために神に献げた義の道具です

古い性質に対する神の解決策を一言で表すなら、「処刑」です。処刑とは、イエスが死なれ、私たちの古い人がイエスとともに十字架につけられた時に起こったことを言います。私たちは神のその解決策をどのように自分の人生に適用すればよいのでしょうか。

ですから、あなたがたの死ぬべきからだを罪に支配させて、からだの欲望に従ってはいけません。また、あなたがたの手足を不義の道具として罪に献げてはいけません。むしろ、死者の中から生かされた者としてあなたがた自身を神に献げ、また、あなたがたの手足を義の道具として神に献げなさい。罪があなたがたを支配することはないからです。あなたがたは律法の下にではなく、恵みの下にあるのです。(ローマ6:12-14)

イエスを信じる信仰と、イエスが自分のためにいけにえとなってくださったことを受け入れた人だけが、このパウロの言葉のようにできるのです。ある人は、「天国に行きたければ、『ノー』と言えるようにならなければならない」と言いました。確かにその通りです。パウロは、私たちは決意し、罪に対して果敢に立ち向かわなければならないと言いました。罪もサタンも、私たちが単に口先だけで言っているだけなのか、本気で言っているのかの違いを見分けることができます。私たちは確信をもって宣言しなければなりません。イエスを信じる信仰によって、私たちの思いは罪の支配から解放されます。そして、自分の意志を正しく行使する責任は私たちにあります。神が私たちに代わって、それを行ってくれるのではありません。私たちは自分の意志をしっかりと見張る責任があることを認識しなければなりません。

【祈り】

 イエスさまの十字架での勝利を感謝します。私は固く立って、罪とサタンはもはや私を支配する力はないと宣言します。私のからだは、神の働きのため、また神の栄光のために神に献げた義の道具です。アーメン。

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