血による聖別

私は聖なる者です

イエスは私たちを贖い、聖め、神のために聖別するためにご自分の血を流してくださいました。私たちは罪やサタンが私たちに触れることのできない場所、イエスの血によって守られ、聖なる者とされた領域で生きることができるのです。

ヨハネの手紙第一1章7節にこう書かれています。「もし私たちが、神が光の中におられるように、光の中を歩んでいるなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血がすべての罪から私たちをきよめてくださいます。」この箇所の現在形は、継続的な動作を示しています。つまり、「もし私たちが、絶えず光の中を歩むなら、絶えず互いに交わりを持ち、イエスの血が私たちを絶えずきよめてくださるのです。」私たちはきよく汚れのないように保たれ、この邪悪な世界の恥ずべき汚れに巻き込まれずに生きることができます。イエスの血によって神に聖別され、きよめられているからです。

鍵となるのが、聖めの場所である祭壇です。旧約聖書では、いけにえは祭壇に置かれるまでは、死んだ動物に過ぎません。しかし、そのいけにえが祭壇に置かれたとき、神にきよめられた聖なるものとなりました。これは、新約聖書を信じる私たちにも当てはまります。パウロはこう言いました。

「ですから、兄弟たち、私は神のあわれみによって、あなたがたに勧めます。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です」(ローマ12:1)。

新約聖書のいけにえが旧約聖書と唯一違う点は、私たちをいけにえとして献げても、からだは生きたままであることです。聖なる者とされる(聖化)の原則も同じです。祭壇に置かれたささげ物を聖くするのは祭壇です。自分のからだに対するすべての権利を放棄し、神が望むように用いられるために神の祭壇に置くまで、私たちの思いや動機の内なる変化は達成できません。

【祈り】

イエスさま、私を召してくださったことを感謝します。私は、イエスさまの血によって守られ、聖められていることを宣言します。私はこのからだを生きたささげ物として献げます。私は聖なる者とされているからです。アーメン。

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