相応の実

私の古い人はキリストにあって死にました。それは、新しい人が私の中に生きるためです。


ヤコブは、宗教に熱心な人々の矛盾について、次のように言っています。

私たちは、舌で、主であり父である方をほめたたえ、同じ舌で、神の似姿に造られた人間を呪います。同じ口から賛美と呪いが出て来るのです。私の兄弟たち、そのようなことが、あってはなりません。泉が、甘い水と苦い水を同じ穴から湧き出させるでしょうか。私の兄弟たち。いちじくの木がオリーブの実をならせたり、ぶどうの木がいちじくの実をならせたりすることができるでしょうか。塩水も甘い水を出すことはできません。(ヤコブ3:9-12)

ヤコブはここで二つのたとえを用いています。一つは木についてです。いちじくの木に、たとえばオリーブのような他の種類の実がなることはない、と言っています。木の種類は、その木が結ぶ実の種類を示しています。ここで言われている木とは「心」のことで、実とは「口から出ることば」です。次に、ヤコブは湧き出る泉について言っています。しょっぱい水が泉から出てきたら、その泉の水は塩水であることがわかると言いました。

この二本の木は、二つの性質を表しています。本来なるべき実とは異なる実を結ぶ木は、腐っています。その木は古い人を象徴しています。良い木とは、イエス・キリストにある新しい人です。古い人は良い実をならせることはできないと、イエスは何度もはっきりと言われました(例:ヨハネ15:1-8)。古い、生まれつきの肉の性質からは、その性質に相応する実しかなりません。

泉や湧き水は霊的なものを象徴しています。純粋な泉とは、聖霊です。腐った、塩気のある不純な泉とは、そうではない別の霊のことです。

【祈り】

イエスさま、あなたが十字架でなされた交換を感謝します。私の新しい性質は、良い実を結ぶと宣言します。私の古い人はキリストにあって死んだからです。それは、新しい人が私のうちに生きるためです。アーメン。

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