断食の力

サタンには、私の中に居場所も、私を支配する力も、私を訴える権利もありません。すべては、イエスの血によって解決されました!

あなたがたは断食の日に自分の好むことをし、あなたがたの労働者をみな、追い立てる。見よ。あなたがたが断食をするのは、争いとけんかのためであり、不当に拳で殴るためだ。・・・わたしの好む断食、人が自らを戒める日とは、このようなものだろうか。葦のように頭を垂れ、粗布と灰を敷き広げることなのか。(イザヤ58:3-5)                 

ここに描かれている人々の断食は、単に宗教儀式の一部として、つまりイエスの時代のパリサイ人たちが行なっていたような断食でした。真の悔い改めやへりくだりによるものではなく、通常の世俗的な生活を続け、貪欲や利己主義、高慢、抑圧といった悪い態度のまま行なっていた断食でした。

一方、神に喜ばれる断食は、全く異なる動機と態度から生まれます。「悪の束縛を解き、くびきの縄目をほどき、虐げられた者たちを自由の身とし、すべてのくびきを砕くこと」(6節)。私たちは聖書と経験の両方から、解き放たれない多くの束縛、下ろすことのできない重荷、砕くことのできないくびきがあると知ることができます。神の民、特にそのリーダーたちが真の断食と祈りをするようにという神の呼びかけに従わない限り、決して自由になることができない多くの人々がいるのです。 

イザヤは、貧しい人たち、苦境にある人たちに対する私たちのふさわしい態度を説明しています。「飢えた者にあなたのパンを分け与え、家のない貧しい人々を家に入れ、裸の人を見てこれに着せ、あなたの肉親を顧みること」(7節)。断食は、私たちの周りの人々、特に物質的、経済的な面で助けを必要としている人々に対して、誠実で実践的な愛の行いに結びついたものでなければなりません。

【祈り】 

主よ、イエスさまの血潮を感謝します。私は、束縛を解き放ち、重荷を取り除き、虐げから解放し、くびきを砕くために神さまが選ばれた方法である断食と祈りへの神さまの呼びかけに従います。サタンには、私の中に居場所はなく、私を支配する力も、私を訴える権利もないことを宣言します。すべては、イエスさまの血によって解決されました。アーメン。

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