「主の御腕」を受け入れる

宿営の外に出てみもとに行こうではありませんか

イザヤ53章は、危機についての警告で始まります。それは、神からイザヤに与えられた、多くの人が不信仰に陥るという預言的メッセージでした。

「私たちが聞いたことを、だれが信じたか。主の御腕はだれに現れたか」(イザヤ53:1)。

その前の箇所(イザヤ52:13-15)で描写され、この預言で語られている主のしもべは、上の節で「主の御腕」と表現されています。この言葉は、神の民のために介入する「神の力」を表しています。イエス・キリストご自身を通して、神がご自分の民に救いをもたらすことを前もって示されたのです。このすべてがイエスによって成就されました。イエスは神を明らかにし、神の救いと癒やしをすべての人にもたらすために来られました。イエスの地上でのミニストリーの証人であるペテロは、そのことを次のように要約しています。

「それは、ナザレのイエスのことです。神はこのイエスに聖霊と力によって油を注がれました。イエスは巡り歩いて良いわざを行い、悪魔に虐げられている人たちをみな癒やされました。それは神がイエスとともにおられたからです」(使徒10:38)。

ヨハネの福音書は、イザヤの預言をそのままイエスに当てはめています。

イエスがこれほど多くのしるし[奇跡]を彼らの目の前で行われたのに、彼らはイエスを信じなかった。それは、預言者イザヤのことばが成就するためであった。彼はこう言っている。「主よ。私たちが聞いたことを、だれが信じたか。主の御腕はだれに現れたか。」(ヨハネ12:37-38)

私たちは、旧約聖書の預言を成就したお方への信仰を堅く保っていなければなりません。イエスの奇跡を目撃した多くの人さえ、信じようとしませんでした。信じるための保証とならないしるしや不思議を求めるのではなく、すべての最大の奇跡である私たちの救いを勝ち取った方を信じる信仰に留まりましょう。

【祈り】

主よ、あなたが私をこの世を出るために召してくださっていることを感謝します。イエスさまご自身の民の多くはイエスさまを拒絶しましたが、私は救いをもたらす「主の御腕」であるイエスさまを受け入れます。私は宿営の外に出て行きます。アーメン。

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