神の約束の成就

努めようではありませんか

神の約束のほとんどには、条件があります。つまり、神は約束をされる時、「あなたがこれをするなら、わたしはそれをしよう」と言われます。私たちは、神が提示した条件を満たさない限り、その約束を主張する権利はありません。

神の約束の成就は、私たちの状況によるのではなく、私たちが神の条件を満たすかどうかによるものであることを理解する必要があります。私たちはその条件に目を留め、それを妨げる可能性のある状況に影響されるのではなく、条件を満たす努力をしなければなりません。

アブラハムの例を見てみましょう。神はアブラハムに、跡取りとなる息子を約束しましたが、彼はすでに99歳になっても、まだ跡取りがいませんでした。(彼は自分でイシュマエルを生みましたが、その子は神が言われた跡取りではありませんでした。)神はなぜ、ご自分の約束を果たす前に、アブラハムをそのような高齢にさせたのでしょうか。神はなぜ、私たちが主張する神の約束を果たす前に、私たちを不可能に思えるような立場に置く場合が多いのでしょうか。

第一に、私たちは過度な自信から解放されます。何かをしようとするとき、それができるのは神だけであることに気づくのです。アブラハム自身の体は、妻の体と同様、子をもうけるという点では無価値でした。その約束を成就させることのできる自然の方法はありませんでした。アブラハムは、その約束を成就することができる唯一のお方である神だけに目を向けるほかに方法がなかったのです。

第二に、ついにその約束が成就果たされるとき、すべての栄光は主のものとなります。約束の目的は、神が栄光を受けることであることを忘れないでください。私たちは、自分の力でできることがある時、功績を認めてほしいという誘惑に陥るかもしれません。しかし、自分の力ではできないことを知らされる立場に置かれるとき、私たちは自信を捨て、そしてすべての栄光は、まさに神のものとなります。

【祈り】 

主よ、あなたの安息に入ることが約束されていることを感謝します。私は、約束の目的は、神が栄光を受けることであると宣言します。私は勤勉になります。アーメン。

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