血の中にあるいのち

まことの聖所に近づこうではありませんか

旧約聖書のレビ記には、イスラエルのアロンの祭司職のおきてが含まれています。主はこう言われました。

「実に、肉のいのちは血の中にある。わたしは、祭壇の上であなたがたのたましいのために宥めを行うよう、これをあなたがたに与えた。いのちとして宥めを行うのは血である」(レビ17:11)。

それは、14世紀後にイエスによって成就した驚くべき預言の言葉です。「いのち」と訳されている語は、ヘブル語では「たましい」(nephesh)です。血の中には、単に人間の存在としての命があるだけではなく、たましいも含まれています。血液の循環が止まると、命が失われることは、誰もが知っています。ある意味、命は血に依存していると言えます。

レビ記16章の贖罪の日の儀式の中で、モーセは自分の兄で大祭司のアロンに、年に一度だけ、神がまさに臨在する至聖所に入ることができると告げました。大祭司は、一方の手に、香り高い煙の雲を立ち上らせるための燃える炭と香で満たした香炉を、もう一方の手に、幕屋の前で屠られた罪のいけにえの血を持って入らなければなりませんでした。香の立ち上った香炉と、いけにえの動物の血の両方を携えていなければ、死に至ります。その二つのものがなければ、神の臨在に近づくことはできなかったのです。

その香りが立ち上る香炉は、礼拝を象徴する美しい型です。私たちは、礼拝なしに神の臨在に入って行くことはできません。しかし、私たちの罪の贖いを示す血も不可欠です。旧約聖書のこれらの描写は、新約聖書で実際に成就されることを預言した型です。

【祈り】

神さま、イエスさまの血によって、私があなたに近づくことができることを感謝します。私は、礼拝と贖いの血を携えて神さまの臨在の中に入っていくことを宣言します。私は至聖所に近づきます。アーメン。

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