勤勉の重要性

努めようではありませんか

へブル人への手紙4章に出てくる「~(しよう)ではありませんか」の二つ目の決意は、「勤勉」です。「ですから、だれも、あの不従順の悪い例に倣って落伍しないように、この安息に入るように努めようではありませんか」(へブル4:11)。

前にも指摘しましたが、この警告は、イスラエルの民がエジプトから荒野を旅した経験に基づいています。彼らのほとんどは、不品行と誤った態度のゆえに、「約束の地」、つまり神が約束した目的地であり、安息の地にたどり着くことができませんでした。そして彼らは荒野で死にました。聖書は、不信仰と不従順のために、彼らの屍は荒野にさらされたと言っています。(参照/民数記14:29、32。)そして、不信仰と不従順によって、彼らは主の声を聞くことができませんでした。彼らは外面的な行いはやっていましたが、主の声を聞くという、真の信仰に不可欠な、内面的本質が欠けていました。

これがイスラエルの悲劇的な過ちでした。ヘブル人への手紙の著者は、「恐れる心を持とうではありませんか」(へブル4:1)と言ったあと、ここでもイスラエルの例に基づいて、こう続けています。「努めようではありませんか。」それは、とても自然なことだと私は考えます。そのような意識を持って、私たちがその霊的状態の危険性を真剣に受け止め、恐れる心を持つなら、私たちは自然に勤勉な者になるでしょう。

勤勉とは何かを少し考えてみましょう。ある言葉の意味を見出す一つの方法は、反意語を調べてみることです。勤勉の反意語は、怠惰です。聖書は怠惰について良いことを言っている言葉は一つもありません。それは、現代のキリスト教界であまり注目されていないテーマです。

【祈り】 

主よ、あなたの安息に入ることが約束されていることを感謝します。私は、すべての真の宗教に不可欠で、内面的な本質は、主の声を聞くことであると宣言します。私は勤勉になります。アーメン。

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