支払われた代価

私は代価を払って買い取られました。私は神のものです

イエスが支払った代価を考えてみましょう。それは、新約聖書のさまざまな箇所 で明確に書かれています。使徒の働き20章28節で、パウロはエペソの教会の長 老たちにこのように書き送っています。「あなたがたは自分自身と群れの全体に気 を配りなさい。神がご自分の血をもって買い取られた神の教会を牧させるために、 聖霊はあなたがたを群れの監督にお立てになったのです。」 

パウロがイエスを「神」という称号で呼んでいることに注目してください。パウ ロは、「神がご自分の血をもって買い取られた神の教会」と言っています。代価は イエスの血でした。そして、ペテロの手紙第一1章17節には、こう書かれていま す。「また、人をそれぞれのわざにしたがって公平にさばかれる方を父と呼んでい るのなら、この世に寄留している時を、恐れつつ過ごしなさい。」ペテロが言って いるのは、奴隷的な恐れについてではなく、イエスが私たちを贖うために支払った 代価から来る深い責任感についてです。決して自分を安いものだと見てはいけませ ん。イエスの血によって贖われたことを思うと、自分を安く見積もることはできな いはずです。 

ご存じのように、あなたがたが先祖伝来のむなしい生き方から贖い出されたのは、銀や金のような朽ちる物にはよらず、傷もなく汚れもない子羊のようなキリストの、 尊い血によったのです 。 (18-19節) 

イエスが私たちを贖うために支払った代価は、その尊い血でした。イエスは、傷 もなく汚れもない神の子羊と呼ばれています。傷とは、生き物が生まれながらにし て持っているものです。汚れとは、生まれた後に傷つけたり、汚したりするものを 指します。イエスは傷もなくとは、彼は生まれつきの罪(原罪)がないことを意味し、汚れもないとは、個人的な罪がないことを意味します。私たちを贖ったのは。 イエスの完全な血でした。

【祈り】

イエスさま、私を買い取ってくださったことを感謝します。私は、イエ スさまの尊い血で贖われたことを宣言します。私は代価をもって買い取られました。 私は神さまのものです。アーメン。

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