正しい挑発とは

互いに注意を払おうではありませんか 

ヘブル人への手紙10章24節は、英語のNKJV訳では、「また、互いに思いやりを持って愛と善行を挑発しようではありませんか」となっています。この翻訳では、一般的に否定的な意味合いを持つ「provoke(挑発)」という強い言葉が使われています。私たちに考えさせるために、意図的にこの言葉が使われているのだと思います。人は挑発されると、通常どのような反応を示すでしょうか。怒りや嫉妬です。しかし、私たちは「愛と善行」を挑発しなければなりません。

「provoke」と訳されているギリシャ語は、英語の「paroxysm(発作)」の語源と同じ語です。発作とは何でしょうか。怒り、あるいは笑いなどの感情が抑えきれずに爆発することです。

「挑発」という語は良くないものを連想させますが、この文脈では良い意味で使われています。私たちは、愛と善行のために互いに挑発し合うべきです。また、正しいことをしてもらいたいなら、挑発しなければならない人がいることも事実です。さらに、どのように挑発するかをよく考える必要があります。

それは私の弱点の一つです。私は相手の性格を考慮することが苦手です。軍隊出身で、かなり論理的な思考をするので、何か一つを伝えるだけでいいと思ってしまうのです。しかし、聖書は、人々にどのように伝えるかを考えなさいと教えています。相手から正しい結果を得たいなら、一人ひとり異なる方法で伝える必要があります。複数の子どもがいる人であれば、彼らを同じように扱うことはできないことを知っているでしょう。一人の子どもを叱って、その子が正しい反応をしても、同じように他の子を叱ると、やる気を失わせたり、挫折させたりしてしまうかもしれないのです。

【祈り】

主よ、私が他の人を愛することを助けてくださることを感謝します。私は愛と善行のために他の人々をどのように挑発(促す)かを考慮することを宣言します。私は他の人に注意を払います。アーメン。

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